日本歴史地名大系 「東松瀬山村」の解説 東松瀬山村ひがしまつせやまむら 佐賀県:佐賀郡大和町東松瀬山村[現在地名]大和町大字松瀬(まつぜ)文化一四年(一八一七)の郷村帳によれば、東松瀬山には休郎(きゆうろう)(久郎)・田中(たなか)・四十坊(しじゆうぼう)・柏木(かしわぎ)・萩(はぎ)ノ平(ひら)・屋形所(やかたどころ)・大谷(おおたに)・泥畠(どろばたけ)・三度蒔(さんどまき)の地名があり、川上(かわかみ)(嘉瀬(かせ))川の上流(支流)名尾(なお)川に沿った小集落からなっている。慶長絵図には西松瀬山村と合わせて「松瀬」と記載され、石高五五四石。正保絵図では東西に分れている。もと神代(くましろ)家の領地であったが、神代家が竜造寺氏に従ってからはその支配に属し、のち佐賀本藩の直轄領となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報