日本歴史地名大系 「佐賀郡」の解説
佐賀郡
さがぐん
佐賀平野の中心に位置する佐賀市の北と南に分れてある。古代―近世の佐賀郡のうち中央部が佐賀市域となったため、北部の山地の富士町、山地から山麓部にかけての大和町と、南部の有明海に面した中世―近世・近代にかけての干拓地の多い諸富町・川副町・東与賀町・久保田町に郡域が二分されている。「肥前風土記」によれば「佐嘉郡 郷陸所里一十九 駅壱所 寺壱所」と記されている。郷六所は「和名抄」に
「肥前風土記」「延喜式」「和名抄」には「佐嘉」と記し、中世には「佐賀」も混用され、近世にはほとんどが佐嘉となり、例外的に幕府に提出する鉄砲改書付だけが佐賀と記された(葉隠)が、明治の版籍奉還以後は佐賀となり、今日に及んでいる。
地名伝説として「肥前風土記」の「佐嘉郡」に、樟の巨木が繁茂していることから日本武尊が「
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報