山内(読み)サンナイ

デジタル大辞泉 「山内」の意味・読み・例文・類語

さん‐ない【山内】

山の中。山中。
寺の境内。
[類語](1山間山中山奥山懐/(2寺内寺中境内神域神苑

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精選版 日本国語大辞典 「山内」の意味・読み・例文・類語

さん‐ない【山内】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 山のなか。山中。山間。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  3. 寺の境内。寺内。
    1. [初出の実例]「護国寺山内(さンない)弁才天建立(こんりう)。弁天坊あじろ笠」(出典:浄瑠璃・伽羅先代萩(1785)道行)

やまのうち【山内・山之内】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「山内」の解説

山内
やまのうち

山内庄・山内惣庄・山内組などともみえ、中世の石川・能美のみ両郡にわたる広域地名。狭義には、手取川流域を中心とした現白峰しらみね村・尾口おくち村・吉野谷よしのだに村・鳥越とりごえ村および小松市南部に比定されるが、広義には河内かわち村と鶴来つるぎ町の一部をも含んでいたらしい。ただし河内こうち庄や味智みち(現鶴来町)などが成立しており、領域の時期的変化がうかがわれ、河内庄と山内とは相互に重なり合っていた時期もあった。なお、この地が白山宮加賀馬場にあたることから、山内庄の領家を白山本宮とする説もあるが(白峰村史)、中世庄園としての実態は判然としない。

〔白山本宮と山内〕

白山之記」に「山内惣橋有十所」とみえ、白山九所小神の一つ志津原しづはら明神の鎮座地は「山内庄瀬」と記される。同鎮座地については、大永神書(白山比神社文書)には「山内広瀬」とみえる。「三宮古記」によれば、滝菴室の灯油田一段が「山内広瀬平」にあったが、貞和三年(一三四七)七月二五日の藤原重宗寄進状案(祇陀寺文書)などには「河内庄広瀬村瀬切野」とあり、南北朝期には広瀬ひろせ(現鳥越村)は河内庄内にあった。なお、正和元年(一三一二)の白山本宮臨時祭礼の流鏑馬に的一〇〇枚を献納する「山内的神人」が存在し、このうち四〇枚を納めたのは河内庄内野地のうじ(現同上)の住人藤三郎・藤四郎で(三宮古記)、山内と河内庄の呼称が併用されている。

元亨元年(一三二一)四月一〇日および同年五月一八日の六波羅御教書(ともに南禅寺文書)によると、山内庄地頭吉谷五郎の子息虎犬丸は佐羅さら(現吉野谷村)・別宮(現鳥越村)の神主と称し、神人を率いて得橋とくはし(現能美郡)佐羅村を押領している。一方、河内庄地頭の結城氏(藤原氏)については、「政所賦銘引付」文明七年(一四七五)八月一六日条に結城鶴市丸の山内庄内の知行分が記され、延徳三年(一四九一)一〇月一一日には結城氏と白山本宮との間に長吏職をめぐる争いがあり、「白山宮荘厳講中記録」には「惣其前後十一年間、山内当山取合也」と記される。なお、応永五年(一三九八)八月一五日の明峰和尚法弟連判書写(「永光寺中興雑記」永光寺文書)に「賀州山内承天庵開山珠巌」とあるが、その所在については未詳。

〔本願寺教団と山内〕

戦国期には山内は主として本願寺教団や一向一揆とのかかわりで史料に現れる。長禄元年(一四五七)一〇月二五日に本覚寺門徒の「松任本誓寺弟子山内新保性善」に下付された光明本尊(春木盛正氏蔵)が知られ、文亀元年(一五〇一)五月二日には円満寺えんまんじ(現小松市)本光ほんこう寺門徒であった「能美郡山内庄丸山」の了承に阿弥陀如来絵像(久保家蔵)を、永正六年(一五〇九)閏八月五日に「能美郡山内庄桑島」の正西に阿弥陀如来絵像を(「絵像裏書写」山口文書)、本願寺実如が下付している。


山内
やまのうち

古口ふるくちから下流、清川きよかわ(現東田川郡立川町)までの最上川は(約一六キロ)出羽山地を先行谷を形成しながら横断する。この区間は山内と称され庄内と内陸を結ぶ要路ではあったが、川の両岸は切立った崖となり川に沿って通行することは困難で、古くから舟による通行が盛んであった。現在は最上峡の名で知られる。近世、川沿いに東から沓喰くつはみ大外川おおとがわ小外川ことがわ高屋たかや土湯つちゆ三ッ沢みっさわ(以上古口村枝郷)柏沢かしわざわ村、柏谷沢かしやざわ(現飽海郡松山町)などの集落があったが、耕地は少なく、慶長年間(一五九六―一六一五)最上義光によって最上川舟運が整備されて以降、元和期(一六一五―二四)までに難破した舟のための助け屋敷として集落が形成されたといわれ(新庄古老覚書)、享保八年(一七二三)柏沢・三ッ沢に口留番所が置かれている。天明八年(一七八八)六月幕府巡見使一行は清水しみず河岸(現大蔵村)から舟に乗り清川へと下ったが、暴風雨に遭い供舟などが吹散らされた。


山内
やまのうち

[現在地名]篠山市山内町やまうちちよう

北新きたしん町の北、町人町二階にかい町の北側にある武家地。町名は明治五年(一八七二)に公称されたもの。山ノ内ともいうが、城下町の鎮守である春日神社の境内の意であるという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山内」の意味・わかりやすい解説

山内(佐賀県)
やまうち

佐賀県西部、杵島(きしま)郡にあった旧町名(山内町(ちょう))。現在は武雄市(たけおし)山内町地区で、市の西部を占める。旧山内町は、1960年(昭和35)町制施行。2006年(平成18)北方(きたがた)町とともに武雄市に合併。旧町域は玄界灘(げんかいなだ)斜面にあり、唐津(からつ)湾に注ぐ松浦川の上流水系に開けた山間盆地状の地域で、戦国期文書に「山内衆」などと山内の名をみる。JR佐世保(させぼ)線と国道35号が町中央を東西に通り抜け、永尾(ながお)と三間坂(みまさか)の両駅をもつ。米やミカンのほか特産のショウガ、チャなどを栽培し、畜産も加わり複合経営が進む。東の合併前の旧武雄市から鉄工企業が進出し、とくに西の有田町からは窯業関係企業が誘致され、有田焼工業協同組合もできたが、周辺への通勤者も多い。国指定史跡の肥前(ひぜん)磁器窯跡分布地で、百間窯跡群(ひゃっけんようせきぐん)や筒江古窯跡(つつえこようせき)などがあり、在来の窯元も点在する。北西方に黒髪山(くろかみやま)県立自然公園があり、そのカネコシダ自生地は国指定天然記念物。黒髪神社秋祭の流鏑馬(やぶさめ)行事や、船ノ原(ふねのはら)の「かんこ踊り」などが知られる。

[川崎 茂]

『『山内町史』上下(1977・山内町)』


山内(秋田県)
さんない

秋田県南東部、平鹿郡(ひらかぐん)にあった旧村名(山内村(むら))。現在は横手市の東部を占める地域。旧山内村は2005年(平成17)増田、平鹿、雄物川(おものがわ)、大森、十文字(じゅうもんじ)の5町および大雄村(たいゆうむら)とともに横手市に合併。奥羽山脈中の山村で、集落は横手川、黒沢川、松川、武道(ぶどう)川に沿う。国道107号、JR北上(きたかみ)線が通じ、地域内に五つの駅がある。約90%が山林原野で、耕地は4%にすぎない。寒冷多雪地で所により4メートルの積雪をみる。林業依存度が大で、稲作農業のほかに、リンゴ、ブドウの果樹栽培やシイタケ、ナメコ栽培が行われる。旧山内村の人口は3889人(2005年国勢調査)で、過疎化が進んでいる。

[宮崎禮次郎]

『『山内村郷土資料』全10巻(1953~1962・山内村)』『『山内村史』全3巻(1989~1990・山内村)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山内」の意味・わかりやすい解説

山内
さんない

秋田県南東部,横手市東部の旧村域。東は岩手県に接し,雄物川の支流旭川の上流にあたる。 1889年村制。 2005年横手市,増田町,平鹿町,雄物川町,大森町,十文字町,大雄村の7市町村と合体して横手市となった。大部分は林野で,旭川の浸食谷内にわずかに水田が開発され米作が行なわれるが,林業が主産業。木材のほか,クリ,ナメコ,山菜などの林産物がある。酒造の季節には県内外に働きに出る山内杜氏で知られる。岩野目川上流に相野々ダムがある。

山内
やまうち

佐賀県南西部,武雄市西部の旧町域。黒髪山,黒岳,神六山など 200~600m級の山々に囲まれた盆地にある。 1954年住吉村と中通村が合体して山内村となり,1955年武雄市武内町の一部を編入,1960年町制。 2006年武雄市,北方町と合体。農林業が主で,チャ (茶) ,ミカンの栽培,畜産が行なわれる。有田町を中心とする窯業地域の一部をなし,国指定史跡の肥前磁器窯跡がある。北西部は黒髪山県立自然公園に属し,黒髪山のカネコシダ自生地は国の天然記念物。

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百科事典マイペディア 「山内」の意味・わかりやすい解説

山内[町]【やまうち】

佐賀県西部,杵島郡の旧町。東隣の武雄市を間にして郡内の他町から離れている。松浦川上流の小盆地を中心とした農村地域で,米作のほかショウガ,マツタケ,茶を特産し,ミカンも産する。有田窯業地帯の外縁にあたり,近世初期の百間窯跡,山辺田窯跡などが国史跡に指定され,花瓶など民芸風陶磁器を産する。佐世保線が通じ,武雄市,伊万里市,有田町への通勤者が多い。2006年3月杵島郡北方町と武雄市へ編入。40.91km2。9802人(2003)。
→関連項目上杉氏

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改訂新版 世界大百科事典 「山内」の意味・わかりやすい解説

山内 (さんない)


山内 (やまうち)

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デジタル大辞泉プラス 「山内」の解説

山内

佐賀県武雄市にある道の駅。国道35号に沿う。

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世界大百科事典(旧版)内の山内の言及

【炭焼き】より

…滋賀県の比良山系周縁には,鉄滓(てつさい)の散布する多くの古代製鉄遺跡があるが,それらの付近に〈金糞(かなくそ)松ノ木〉とか,〈九僧谷(くそだに)〉(金糞谷の転訛か)と隣接して〈炭焼〉という地名が残存するのも,これと無関係ではない。中国山地の砂鉄精錬は,鉄穴(かんな),炭山,韛(たたら),鍛冶屋の4部の山内(さんない)という特異な組織をもったが,そこにも炭焼きは重要な位置を占めていた。しかし,彼らの仲間には旅職を主とした金屋(かなや)集団に加わって,つねに深山に漂泊する一団もあった。…

【たたら(鑪∥踏鞴)】より

…それがしだいに高殿と記される炉をもった作業施設がつくられ,定着するようになった。たたらを中心とする山内(さんない)にはたたら師,鍛冶師,炭焼きなどが住み,経営者との間に親方子方関係を結び山子(やまこ)として働いた。たたら師は鉱山関係者のなかでもとくに信仰や伝承が多く,かつ古いものが残されている。…

※「山内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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