日本歴史地名大系 「東橋波村」の解説 東橋波村ひがしはしばむら 大阪府:守口市東橋波村[現在地名]守口市橋波東之(はしばひがしの)町一―四丁目・東郷通(とうごうどおり)一―三丁目・菊水通(きくすいどおり)一―四丁目・大宮通(おおみやどおり)一―四丁目など西橋波村の東にある。江戸時代初めには橋波村一村であったがのち東西に分離。延宝年間(一六七三―八一)の河内国支配帳によると村高五七六石余、うち京大仏養源(ようげん)院領三〇〇石・山城曼殊(まんしゆ)院(竹内門跡)領二〇〇石・米津田盛領七六石余。養源院領については寛文五年(一六六五)安堵と諸役免除の朱印状が出されている(寛文朱印留)。同院領は幕末に至る。曼殊院領は寛文五年に加増されたもの(同書)。同年には七六石余は幕府領(橋本家文書)。曼殊院領はのち上知(時期不明)、元禄郷帳では幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by