東河田村(読み)ひがしかわたむら

日本歴史地名大系 「東河田村」の解説

東河田村
ひがしかわたむら

[現在地名]八代市川田町東かわたまちひがし

興善寺こうぜんじ村の南、竜峰りゆうほう(五一七メートル)の山麓線に沿って北流するふもと川を挟むように立地し、西は八代平野に連なる。車塚くるまづか古墳群(三基)のうち一基に前方後円墳がみられる。「八代日記」永禄八年(一五六五)五月二三日条に、相良義陽が「河田」に出向いた記事がみえる。慶長国絵図に「東川田村」とみえ、正保郷帳では田方七〇八石八斗余・畠方六五石七斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む