日本歴史地名大系 「東花尻村」の解説 東花尻村ひがしはなじりむら 岡山県:岡山市旧賀陽郡地区東花尻村[現在地名]岡山市東花尻西花尻村の東、吉備中山の南麓にあり、境目(さかいめ)川のすぐ東は備前国である。古くは花尻村一村で、元禄元年(一六八八)に分村して東花尻村となり、高二五九石余、幕府領(「領知目録」上坂文書)。同一二年庭瀬藩板倉氏領となり(「領知目録」吉備郡史)、以後幕末まで同藩領。天保九年(一八三八)の反別一四町余、高二五九石余、うち田二三九石余・畑二〇石余、家数六五・人数三二七、牛二五、宮一・寺二(「庭瀬領村鑑」東方文書)。日蓮宗が盛んで東端に石塔婆があり、石柵の中に法華題目を刻んだ数基の塔婆と大覚大僧正の石碑がある。最も大きい正面の題目石は高さ一四五センチ・最大幅一四〇センチ・厚さ二〇―二五センチの板状花崗岩製で、「天正第十九辛卯年」「花尻村 東西真俗一結仕」「大願主 日戒敬白」などの銘がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by