東阿閉村
ひがしあつじむら
[現在地名]高月町東阿閉
宇根村の西、湖北平野北部に位置する。古墳と推定される父塚があり、現在塚上に稲荷社が建つ。条里遺構も近年までみられ、一ノ坪の地名が残る。室町時代阿閉氏が当地一帯を領した。天正九年(一五八一)五月の阿閉貞征父子連署寄進状(竹生島文書)によれば、同氏領の「北脇下野内」を都久夫須麻神社(現東浅井郡びわ町)に寄進している。ところが翌一〇年八月二四日の柴田勝豊宛行状(前田文書)によると「千六百四十九石 北脇所々阿閉分」を大沢次郎左衛門尉に与え、翌一一年八月一日に羽柴秀吉は阿閉氏分の柳野二〇〇石・西物部一二〇石などを新荘直忠に与えている(「羽柴秀吉宛行状」記録御用所本古文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 