伊香郡(読み)いかぐん

日本歴史地名大系 「伊香郡」の解説

伊香郡
いかぐん

面積:三五一・三八平方キロ
高月たかつき町・木之本きのもと町・余呉よご町・西浅井にしあざい

県の最北部に位置し、北は福井県南条なんじよう今庄いまじよう町、東は岐阜県揖斐いび坂内さかうち村、南は東浅井郡浅井町・湖北こほく町と琵琶湖、西は高島郡マキノ町・福井県敦賀市。北部から中部は伊吹山地に連なる高山で、これら山地に発する高時たかとき川・余呉川・おお(塩津大川)大浦おおうら川などが南流、下流域に平野が開ける。JR北陸本線が全町域を通り、高月・木之本・余呉・近江塩津おうみしおつの四駅がある。近江塩津駅ではJR湖西線に連結する。郡内をほぼ南北に北陸自動車道が貫通し、木之本インターチェンジが設けられている。このほか木之本町木之本を結節点として国道八号・同三〇三号・同三六五号が通り、八号は敦賀市方面、三〇三号は岐阜市方面、三六五号は福井市方面へ抜ける。旧郡域は西浅井町を除く三町域。西浅井町は近世まで浅井郡に属した。以下の記述は旧郡域を対象とする。

和名抄」は諸本ともに柏原かしわはら安曇あずみ遠佐おさ楊野やなぎの・余呉・片岡かたおか伊香いかか大社おおやしろの八郷をあげる。養老令の基準では中郡。訓は東急本に「伊加古」とあり、郷名伊香も同様だからイカコであろう。「拾芥抄」もイカコとするが、「節用集」は「香又作甲」としイカウの訓を付す。郡名表記は伊香以外の例はみられない。伊香具神社(「延喜式」神名帳)伊香胡山あるいは胆香瓦臣安倍(「日本書紀」天武天皇元年七月二日条)の人名もみえるが、こうした表記での郡名はない。郡名の初出は和銅二年(七〇九)一〇月二五日の弘福寺田畠流記帳(円満寺文書)で、「伊香郡田壱拾町弐段弐伯弐拾捌歩」とある。

〔原始・古代〕

縄文時代の遺跡では木之本町の桜内さくらうち遺跡・川合かわい遺跡・古橋ふるはし遺跡など、弥生時代では高月町の高月南遺跡・横山よこやま遺跡などがあり、平地が少ないため遺跡はそう多くはない。しかし古墳時代にはわりあい多くの豪族の古墳が築かれた。高月町の物部ものべ古墳群・湧出山ゆるぎやま古墳群などは近江・大和と北陸道方面といった地方との交通の結節点ともいうべき伊香郡域を制圧し、その勢力を蓄積した豪族のものと考えられる。このうち五世紀末から六世紀中葉にかけて隆盛であった物部氏がこの地に部民を設定したと考えられ、高月町に物部の地名を残す。また安曇郷の所在から阿曇連による海人統制との関連も想定しうる。文献によって知られるのは、壬申の乱で大海人皇子軍に参加し胆香瓦臣安倍、また「近江国風土記」逸文にみえる伊香連で、とりわけ前者が美濃国不破ふわ(現岐阜県不破郡関ヶ原町)に陣営を置く大海人皇子の反近江朝廷方についたことは、当郡が近江国に属しながらも北陸道・東山道とのつながりがむしろ強かったことを示すものとして興味深い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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