東高泊村
ひがしたかとまりむら
[現在地名]小野田市大字東高泊
瀬戸内海に面し、村の東部を有帆川が南西に流れる。村域は丘陵部の櫛山(現楴山)と、その南に寛文八年(一六六八)築立した藩営の高泊開作によって形成された石井手・下木屋・横土手・高須よりなる。
康応元年(一三八九)将軍足利義満が下向した時の記録「鹿苑院西国下向記」に、神功皇后伝説を紹介して「高泊といふ浦にて四十八艘の船を作て出し玉しに」と記される。
慶長一五年(一六一〇)の検地帳には「高泊」とあり、総石高二四六石余、田一四町で一二五石余、畠一二町余で五八石余、百姓屋敷一八、小物成一石、塩浜方五〇石余となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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