デジタル大辞泉
「小野田市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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小野田市
おのだし
面積:四二・八一平方キロ
県の南西部、周防灘に面して立地する。北は厚狭郡楠町、北から西へかけて同郡山陽町、東は宇部市に接する。隣接市町との境界辺りは標高五〇メートル前後の宇部丘陵の一部でなだらかな老年期の丘陵が続き、南部には周防灘に突出した本山半島があり標高一三六・二メートルの竜王山がそびえる。北東から南西に向かって有帆川が流れ、また西側を山陽町との境をなす厚狭川が南流し、それぞれ周防灘に注ぐ。
地質的には花崗岩層と第三紀層の地域が多く、第三紀層からは江戸時代後半以降石炭が採掘され、地域発展の原動力となった。また海岸部はほとんどが干潟のため、高泊開作など江戸時代以後の開作地が並び、現在では市街地を含む市のかなりの面積が干拓地からなっており、ごく一部を除いて自然のままの海岸線はなくなった。
小野田の地名は旧西須恵村の小字名であったが、旧小野田町成立にあたって町の中心地に位置したところから用いられ、のち市の名称ともなった。
〔原始・古代〕
市域で発見されている最も早期の遺跡は本山半島北部に位置する須賀遺跡で、縄文土器をはじめ石鏃や石錘・叩石が出土、また地表より二―三尺の地層から弥生式土器、さらにその上層からは須恵器などが発見されており、縄文時代以降、集落が形成されていたことがわかる。そのほか、野来見・有帆などの地域から打製石斧・磨製石斧・磨製石包丁・石錘など石器類が発見されているが、いずれも発掘調査は行われておらず不詳。
古墳時代に入ると、前方後円墳とも推定されている本山の大判山古墳(消滅)をはじめ、松原の塚ノ川古墳や大浜・焼野・本山などに小規模な古墳(消滅)がつくられ、本山半島一帯に多いが、市のほぼ中央の旦から北部有帆にかけての有帆川流域の丘陵部にも古墳が散在する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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