日本歴史地名大系 「松岡新田」の解説 松岡新田まつおかしんでん 徳島県:徳島市旧板野郡地区松岡新田[現在地名]徳島市川内町(かわうちちよう) 松岡富吉(とみよし)新田の南に位置し、東は江子(えご)川(現宮島江湖川)を境に小松(こまつ)新田、別宮(べつく)浦(下別宮)、南西は宮島(みやじま)浦。富吉新田と併せて竹熊(たけくま)新田とも称された。寛政年間(一七八九―一八〇一)唐園(とうのその)村(現板野町)の寒川道之丈(類吉)によって堤が築かれ、開発が始まったという。その後木内熊次郎・宮島紋太郎・松浦予助が中心となって開発が進められた。文政四年(一八二一)第十(だいじゆう)堰の井組に加わったとされる(「第十関出来申伝運記録」御大典記念民政資料など)。嘉永二年(一八四九)の洪水では大きな被害を受け、当新田のほか、平石(ひらいし)村・大松(おおまつ)村・榎瀬(えのきぜ)村・竹須賀(たけずか)村・沖島(おきのしま)村・中島(なかしま)浦・富久(とみひさ)新田・富吉新田・米津(よねづ)新田が共同で復旧工事を行い、家一軒当り一〇匁、一反当り一四匁余の費用を負担した(川内村史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報