松浦寿恵子(読み)マツウラ スエコ

20世紀日本人名事典 「松浦寿恵子」の解説

松浦 寿恵子
マツウラ スエコ

昭和期の教育者 淳和尋常高等小学校教師。



生年
明治37(1904)年

没年
昭和9(1934)年9月21日

出生地
岡山県児島郡藤戸村(現・倉敷市)

旧姓(旧名)
加藤

学歴〔年〕
岡山県女子師範学校〔大正11年〕卒

経歴
教師となるり、昭和3年に岡山県笠岡の松浦家に嫁ぐ。同年京都に移り、明徳尋常高等小学校教諭を経て、5年には淳和尋常高等小学校に着任。9年9月21日、猛威を振るった室戸台風が京都に襲来、これによって同校校舎は倒壊して32人が死亡し90人余りが重傷を負う。倒れる柱から生徒を守ろうとして殉職した。のち彼女の行動を頌え、京都知恩院の山門横に「師弟愛之像」が建立された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松浦寿恵子」の解説

松浦寿恵子 まつうら-すえこ

1904-1934 昭和時代前期の教育者。
明治37年生まれ。昭和5年京都市の淳和小学校教員となる。9年9月21日室戸台風で児童とともに倒壊した校舎の下敷きとなり死去。31歳。京都知恩院の山門横に「師弟愛之像」がある。岡山県出身。岡山県女子師範(現岡山大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例