日本歴史地名大系 「松窪村」の解説 松窪村まつくぼむら 福島県:会津若松市旧一箕村地区松窪村[現在地名]会津若松市一箕町(いつきまち)松長(まつなが)吹屋(ふきや)川上流、大寺(おおてら)街道に沿い、南東は長原(ながはら)新田村、北西は河沼郡駒板(こまいた)村(現河東町)、南西は下居合(しもいあわせ)村。寛文六年(一六六六)の「滝沢組村々由来堤山名帳」には「此村四拾壱年以前寛永三寅之年松窪と申原ヲ新田ニ開キ在所を立罷有ニ付、松窪村と名付申候」とある。また「新編会津風土記」には「南北二区に分る、其間一町三十間余を隔つ、北を上分(かみぶん)と云(中略)、南を下分(しもぶん)と云、(中略)共に山麓高敞の地にあり」と記している。松窪村旧肝煎古河家の古文書には「古河出雲ヨリ三代嘉右衛門勝信ノ三男喜左衛門勝季、河沼郡松久保ト云野原ヲ山ノ内所々ノ浪人ヲ集メ三百五拾石余之高ヲ開発シ村ヲ建」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by