日本歴史地名大系 「旧一箕村地区」の解説 旧一箕村地区きゆういつきむらちく 福島県:会津若松市旧一箕村地区会津盆地東縁にあたり、大半は背(せ)あぶり高原が北に傾斜した山地で、滝沢(たきざわ)峠・沓掛(くつかけ)峠を越えて猪苗代盆地西端に出る。滝沢峠を越えて湊(みなと)町赤井(あかい)へ至る道は近世には白河街道として藩主の参勤交代路でもあり、繁栄した。南西部の若松城下と近接するため、城下との境界付近には、町と村の中間の性格をもつ町分とよばれる地域が生れた。近世を通じて全村会津藩領で、町分を除いて滝沢組に属した。近世末期の一四村が、明治八年(一八七五)の合併で五村となり、町分は同一〇年に八角(やすみ)村・上蚕養(かみこがい)村となる。明治一二年より北会津郡に属した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報