日本歴史地名大系 「松陰私語」の解説
松陰私語
しよういんしご
別称 五十子記
成立 永正六年か
写本 宮内庁書陵部など
解説 作者は新田庄長楽寺の住僧松陰。新田岩松氏の陣僧として政治折衝などに従事し、回想録風の戦記を残した。成立は奥書によると「永正丁巳潤八月日寿年七十二書之了」とあり、永正六年であろうか。原本は不詳で、白石本(宮内庁書陵部所蔵四冊)系と新田本(新田俊純旧蔵六冊)系の二つの写本群が残っている。一五世紀後半の関東享徳の大乱期における岩松礼部家(家純系)四代と家宰横瀬(由良)氏の動向を伝え、礼部家のほうが相伝文書を失っていることもあり、東上州の国人領主岩松氏の動きをトータルに考えるうえで貴重。ことに岩松家純が金山城に一族被官を集結させ京兆家(持国系)併合の儀式を行った文明元年の「金山城事始」の記事や、同九年の一味神水三ヵ条起請(岩松明純勘当事件)、明応四年の「屋裏之錯乱」(家宰横瀬氏下剋上)の記述は、国人領主の権力構造を考えるうえで示唆深い。
活字本 「群馬県史」資料編五
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報