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金山城 かなやまじょう

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日本の城がわかる事典の解説

かなやまじょう【金山城】

群馬県太田市にあった山城(やまじろ)。関東七名城の一つ。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。室町・戦国時代の岩松氏、由良氏(横瀬氏)の居城。戦国時代には、上杉謙信をはじめとする攻撃に落城しなかった堅城として知られていた。同市中央部にある独立峰、金山(標高235.8m)の全山を城域とし、山頂から四方の尾根にわたる東西3.8km、南北3.1kmにわたって、実城(本城)、坂中(北曲輪(きたくるわ)、北城とも呼ばれる)、西城、八王子山砦などの郭が配置されていた。1469年(文明1)に、新田氏の一族の岩松家純によって築城された(鎌倉時代末期に新田義貞が築城したとする説もあるが、発掘調査ではその当時の遺構・遺物の出土はない)。1495年(明応4)、岩松氏の内紛に乗じて、重臣の横瀬国繁・成繁親子が実権を握り、その後に金山城は横瀬氏の城となった。横瀬氏は関東管領山内上杉氏に従って北条氏に敵対したが、関東管領の上杉憲政が越後に逃れた後、一時北条氏の傘下に入ったものの、1560年(永禄3)に越後の長尾景虎(のちの上杉謙信)が関東に進出すると、これに従った。その後、横瀬氏は由良氏と改姓。上野に侵攻した武田信玄北条氏政と戦ったが、1566年(永禄9)、上杉氏から離反し北条方に与した。1590年(天正18)の小田原の役(豊臣秀吉の北条氏攻め)の際、金山城は豊臣方の攻撃を受けて落城し、こののち、廃城となった。城跡は、城址公園となっており、石垣、土塁、堀、馬出し、井戸などの遺構が現存、あるいは復元されている。また、関東では珍しい大規模な石垣のある城である。1992年(平成4)から開始された発掘調査で、金山城は石垣や石敷きを多用した城郭であることが明らかになり、中世の関東の山城には石垣はないとする従来の定説を覆した。東武伊勢崎線太田駅から徒歩約50分。◇新田金山城、あるいは太田金山城とも呼ばれる。

かねやまじょう【金山城〈宮城県〉】

宮城県伊具(いぐ)郡丸森町にあった戦国時代の山城(やまじろ)で、江戸時代には仙台藩21要害の一つとされた。永禄年間(1558~69年)に相馬氏家臣の井戸川将監(しょうげん)らが築城したと伝えられている。この城は、伊達氏と相馬氏の所領の境界にあったため、激しい争奪戦が繰り返され、1584年(天正12)に伊達氏の属城となった。その前の1581年(天正9)の同城攻めで伊達政宗(まさむね)が初陣を飾っている。この城の奪取に功績のあった中島宗求(むねもと)に与えられた。元和の一国一城令後も要害として残り、明治維新に至るまで中島氏代々が居城とした。戊辰戦争後の1868年(明治1)、この城は盛岡藩南部氏が移封された南部白石(しろいし)藩に属したが、廃藩置県後、中島氏に払い下げられている。城跡は現在、お館山(たてやま)公園になっており、かつての本丸跡の石垣のほか土塁、曲輪(くるわ)跡が残っている。阿武隈急行線の丸森駅(仙台からJR東北本線で槻木(つきのき)乗り換え)から金山城入口まで車で約10分、徒歩約15分。

かねやまじょう【金山城〈岐阜県〉】

岐阜県可児市(旧可児郡兼山町)にあった山城(やまじろ)。古城山(標高273m)を城域とした城郭で、山頂に主郭があった。1537年(天文6)、斎藤道三が東美濃を制圧するため、猶子の正義に命じて築かせたといわれる。正義はこの城を烏峰城と命名して居城として武威をふるったが、1548 年(天文17)に近隣の久々利城(可児市)の土岐悪五郎に謀殺され、城主不在の城となった。その後、東美濃に進出した織田信長は1565年(永禄8)、この城に森可成(よしなり)を配して城の改修を行わせ、金山城と名前を改めさせた。以後、森氏の居城となる。1570年(元亀1)、可成の長男(嫡男)の可隆が手筒山城(福井県敦賀市)で戦死、可成自身も同年の近江坂本の戦い(信長が浅井・朝倉連合軍に敗走した戦い)で戦死したため、家督を継いだ次男の長可が城主となった。1582年(天正10)、長可が信濃国川中島に転封されると、森成利(長可の弟)が城主となったが、成利は本能寺の変で戦死し、川中島を捨てて退却した長可が再び城主となった。しかし、長可は1584年(天正12)の小牧・長久手の戦いで戦死し、可成の六男の忠政が城主の座を引き継いだ。その後、1600年(慶長5)に森氏は川中島藩(海津城)に転封となり、金山城は犬山城(愛知県犬山市)を居城とした石川貞清の属城となった。その後、金山城の建物は解体され、犬山城の改修に使われたといわれている。ただし、かつて犬山城の天守は金山城から移築されたとの説もあったが、近年の調査によりこの説はほぼ否定されている。現在、かつての本丸、二の丸跡などに曲輪(くるわ)、土塁、井戸、堀、石垣の一部などの遺構が残っている。名鉄広見線明智駅からバス、下城戸下車後、徒歩約20分。◇同城の古名は烏峰城。

出典|講談社
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