板蠅杣(読み)いたばえのそま

日本歴史地名大系 「板蠅杣」の解説

板蠅杣
いたばえのそま

山辺郡の東北部から名張なばり市西北部にかけての山地一帯にあった東大寺領の杣。天平勝宝七年(七五五)一二月二八日の孝謙天皇勅施入文案(東大寺文書)には「東限名張河 南限斎王上路 西限小倉倉立小野 北限八多前高峯并鏡滝」とあり、大和・伊賀両国にまたがる広大な杣地であった。斎王上路さいおうじようろは伊勢に向かう斎官の通る道、すなわちつげやまの道のことで、今日の宇陀郡室生村大字染田そめだから名張に通ずる道と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の板蠅杣の言及

【黒田荘】より

…伊賀国名張郡にあった東大寺領荘園。10世紀中葉,東大寺は寺領板蠅杣(いたばえのそま)の四至を笠間川から名張川まで拡張し,四至外の宇陀・名張両川左岸の山麓地域を領有。さらに11世紀前半には,官符や国符によって拡張された杣四至の公認と住人・杣工(そまく)らの臨時雑役免除を獲得し,杣から荘園への転換を図る。…

【杣】より

…古代律令国家や荘園領主が,造都や寺院などの巨大造営物の建設用材を確保するために指定した山林。造寺事業のために755年(天平勝宝7)孝謙天皇から東大寺へ施入された伊賀国名張郡板蠅杣(いたばえのそま),藤原京や石山寺造営のための近江国田上(たなかみ)杣,平安京造営の杣とされた丹波国山国(やまぐに)杣,11世紀初頭に山城国寂楽寺(白川寺喜多院)造営のための近江国朽木(くつき)杣はその例である。平安時代を通じて杣は荘園化してゆくが,板蠅杣は東大寺領黒田荘,田上杣は常在光寺領田上杣荘,山国杣は修理職(すりしき)領山国荘,朽木杣は寂楽寺領朽木荘へと転化する。…

※「板蠅杣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」