林田庄(読み)はやしだのしよう

日本歴史地名大系 「林田庄」の解説

林田庄
はやしだのしよう

和名抄」に記載される揖保郡林田郷の郷名を継承したとみられる京都上賀茂社(賀茂別雷神社)領の庄園。林田川中流域、現林田町一帯に比定される。寿永三年(一一八四)四月二四日の源頼朝下文案(賀茂別雷神社文書)に賀茂別雷社領として林田庄とみえ、頼朝は後白河院庁下文を受け、武士らの狼藉停止を命じている。元暦二年(一一八五)四月二九日、後白河院は再度平家追討にことよせて武士らが狼藉することを停止するよう求め(「後白河院庁牒」同文書)、源頼朝は文治二年(一一八六)九月五日に狼藉停止を命じている(「源頼朝下文写」京都国立博物館蔵鳥居大路文書)。正応二年(一二八九)五月日の僧快円・源有家連署父母遺領等配分状案(祇園社記)によれば、林田内に広峯ひろみね社の仁王講田二段があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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