柄田村(読み)ひしやくだむら

日本歴史地名大系 「柄田村」の解説

田村
ひしやくだむら

[現在地名]門司区柄杓田町・柄杓田

伊川いかわ村の東に位置する。北東喜多久きたく村境となるだけノ鼻と、南部の元取もとどりノ鼻がつくる入江がある。文永九年(一二七二)一〇月九日の門司六ヶ郷惣田数注文写(甲宗神社文書/鎌倉遺文一五)によると、伊川郷内に「田」二町五反などの名田が散在した。元和八年人畜改帳に「栖杓田村」とみえ、高五〇石、家数一二、人数四八(うち加子二・川口番一)、牛二、牛屋二。郷村高帳では高一三三石余、うち新田高一石余。幕末の各村覚書では本高一三一石余、田九町余・畠三町六反余、物成七六石余、竈数一三四・人数六六六、牛八、船五〇、えき神社(現天疫神社)・蛭子社、光照こうしよう(現浄土真宗本願寺派)など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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