20世紀日本人名事典 「柚木久太」の解説 柚木 久太ユノキ ヒサタ 明治〜昭和期の洋画家 生年明治18(1885)年10月22日 没年昭和45(1970)年10月27日 出生地岡山県倉敷市 学歴〔年〕岡山中卒 主な受賞名〔年〕岡山県文化賞,倉敷市文化章 経歴南画家・玉邨を父として生まれる。明治39年満谷国四郎の門に入り、翌40年太平洋画会研究所に所属。また東京美術学校に聴講した。44年第5回文展に「鞆津の朝」が入選、同年フランスに留学し、ジャン・ポール・ローランスに学んで大正4年帰国した。以後文展、帝展に出品をつづけ特選を重ねた。戦後は日展で活動、昭和32年第1回から会員となり、39年評議員、45年参与となった。この間、30年には新世紀美術協会創立に参加し会員となっている。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柚木久太」の解説 柚木久太 ゆのき-ひさた 1885-1970 明治-昭和時代の洋画家。明治18年10月22日生まれ。柚木玉邨(ぎょくそん)の子。満谷(みつたに)国四郎に師事。明治44年文展に初入選。パリ遊学後,大正5年文展,8年,11年帝展で特選。昭和32年日展会員。30年には新世紀美術協会を創立。昭和45年10月28日死去。85歳。岡山県出身。岡山中学卒。号は写山人。作品に「護書之図」「水郷の夕」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例