千葉県北部から茨城県南部にまたがる利根川下流の低湿地帯。利根本流,横利根川,北利根川,霞ヶ浦,外浪逆浦(そとなさかうら),北浦の沿岸に広がり,水郷筑波国定公園に指定されている。古代には香取海といわれた流海で,中世に利根川水系の堆積作用で沖之島などの川中島が形成され,近世初期の利根川の河道付け替え以後急速に陸化が進み,十六島(じゆうろくしま)などの新田開発が進展した。水郷の中心の十六島はかつてはエンマという水路が縦横に掘られ,灌漑,排水路として,また交通路として利用された。各所に輪中堤が築かれて牧歌的な風景がみられたが,1964年からの圃場整備事業の進展,水郷大橋の架橋,JR鹿島線,東関東自動車道の開通などで景観が一変し,現在は加藤洲(かとうず)十二橋や与田浦にその面影を残すにすぎない。ハナショウブの咲く6月に観光客が多く,与田浦に120種,10万本のハナショウブをもつ佐原水生植物園(現,水郷佐原水生植物園),水郷や利根川流域の生活を紹介する大利根博物館(現,千葉県立中央博物館大利根分館)などがある。佐原は水郷の入口,潮来(いたこ)は奥座敷といわれ,《潮来音頭》《潮来甚句》など水郷情緒豊かな民謡もあり,周辺の河川,湖沼は釣り客が多い。
執筆者:菊地 利夫
利根川下流の低湿地に近世初期から開かれた16の新田集落。茨城県稲敷市の旧東町に属する上之島(かみのしま),結佐(けつさ),六角,西代,卜杭(ぼつくい),中島,千葉県香取市の旧佐原市の長島,八筋川,大島,三島,境島,扇島,加藤洲,中洲,磯山,香取郡神崎(こうざき)町の松崎を指し,十六島の〈島〉は川中島を意味する。中世に形成された沖之島に1590年(天正18)徳川氏の代官が常陸の佐竹氏に敗れた江戸崎城主土岐氏の家臣に見立新田として上之島を開かせたことに始まり,その後約50年間に次々と開発された。徳川家康によって〈新島(しんしま)〉と命名され,将軍の日光社参時の人馬や鹿狩りの勢子人足が免除されるなどの特権をもっていた。十六島新田の発展は17世紀中ごろからの約80年間で,利根川の河道付け替えによって砂州が拡大し,しだいに耕地化されていった。低湿地であったため島の生活は水と深くかかわり,土盛りをして家を建て,縦横に走る幅2~5mのエンマが道の役目を果たしており,サッパという農舟が大切な交通機関であった。エンマに架かる橋はサッパ舟が通るため中央の高い水郷独特の木橋であった。水路の水は灌漑ばかりでなく,地下水は鉄分が多く使用できないため飲料水など生活用水としても重要な役割を果たしていた。大雨による堤防の決壊や内水などによる被害もしばしば起こり,水との闘いが続いた。十六島のうち旧佐原市に属する地区は,1964-78年に県営の圃場整備事業が行われた結果,景観と生活が一変した。湿田は乾田となり,エンマに代わって幹線水路,排水路や広い道が造られ,大小さまざまだった水田も整然と区画され,用水も水車(みずぐるま)(踏車)から水道バルブ式となった。耕作方法も機械化され,米だけの農業から野菜栽培や畜産も行う農業に変わり,経営の多角化が進んでいる。島をとりまく河川の堤防と排水施設が完備したため,洪水の被害もほとんどなくなった。
執筆者:島田 七夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大河川の中・下流の低湿な三角州地域で、水路網が発達し、舟による交通が発達している地域。利根(とね)川、信濃(しなの)川、木曽(きそ)川、筑後(ちくご)川などの中・下流地方、中国の長江(揚子江(ようすこう))下流のクリーク、オランダのポルダーとよばれる低地などにみられる。
とくに利根川下流と霞ヶ浦(かすみがうら)を中心とする湖沼地帯は典型的な水郷景観を呈し、その範囲は霞ヶ浦と北浦の南端にあたる。利根川が東流して横利根川と北利根川に挟まれた川中島の地域で、低湿なデルタを形成する。近世初期江戸湾へ注いでいた利根川が銚子(ちょうし)へと流路を変えられ、香取(かとり)海へ土砂が堆積(たいせき)して低湿地をつくった。
江戸幕府は対岸の常陸(ひたち)佐竹藩に対する防衛上の意図から帰農武士に16の新田を開発させた。集落は島や州の地名がつくものが多いが、これは1~2メートルの自然堤防上の微高地上に立地しているからであり、ために絶えず水害を受けてきたが、明治以後は低水位工事から高水位工事にかえられて堤防が強化され、川幅も広げられた。第二次世界大戦前においては無数の水路が走り、これが唯一の交通路であって農民は田舟で農作業に出るとともに腰までつかって田植をした。
1957年(昭和32)に利根川特定地域総合開発事業として水郷地帯の土地改良と干拓が行われた。鹿島(かしま)臨海工業地域の工業用水を確保するために北利根川と常陸利根川の川幅拡張工事が始まり、その土砂を利用してクリークを埋め、圃場(ほじょう)を整備して湿田の乾田化を図る県営圃場事業を推進した。現在、耕地整理されたみごとな水田と舗装された農道とが、水郷農村の変容をよく示している。与田(よだ)浦の一部は干拓され、そこに水生植物園が造成されたので、6月のアヤメのシーズンには農民の操る観光田舟が行き交い、加藤洲(かとうず)十二橋巡りや潮来(いたこ)とを結ぶ水郷筑波(つくば)国定公園の観光拠点となっている。
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字通「水」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ここでは利根川は常総台地と下総台地の間を流れ,また霞ヶ浦,北浦,印旛(いんば)沼,手賀沼などの湖沼が存在し,末端は利根川と結びついている。この地域における利根川の傾斜は非常に緩く,湿地も多く,また三角州もみられ,全域が低湿な水郷地帯の観がある。この地域にみられる自然堤防は,埼玉県羽生市付近のものに比べて,形成の時期が新しく,規模も小さい。…
※「水郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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