柳原通(読み)やなぎはらどおり

日本歴史地名大系 「柳原通」の解説

柳原通
やなぎはらどおり

西は筋違すじかい御門から東は浅草橋あさくさばし御門までの間、長さ一〇町余の神田川土手を柳原土手とよび、南側土手下を柳原通と称した。また、土手下から南側一帯を柳原ともよんだ。柳の木が多かったといい、長禄二年(一四五八)太田道灌が江戸城の鬼門除けに柳を植えさせ、享保年間(一七一六―三六)に柳が枯れて柳原土手の地名のみになっていたので八代将軍徳川吉宗が再度植えさせたといわれる(御府内備考・江戸名勝志・柳森神社記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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