武江年表(読み)ぶこうねんぴよう

日本歴史地名大系 「武江年表」の解説

武江年表
ぶこうねんぴよう

八巻八冊 斎藤幸成(月岑) 巻一―四は嘉永二年、巻五―八は同三年刊

写本 慶応義塾大学・前田育徳会尊経閣文庫(自筆、続編とも一二冊)ほか

版本 国立国会図書館・国立公文書館内閣文庫・東京都公文書館・都立中央図書館ほか

解説 天正一八年から嘉永元年までが正編八巻、嘉永二年から明治六年までが続編四巻に収められている。府内で発生したおもな事件・災害を細大漏らさず記す。随所考証の跡をうかがうことができる。後世考証家がさらに校訂を加えたものに「武江年表補正略」「武江年表書入」「増訂武江年表」などがある。

活字本 江戸叢書一二・「増訂武江年表」(東洋文庫)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「武江年表」の意味・わかりやすい解説

武江年表
ぶこうねんぴょう

江戸とその近郊に起こった事柄を年表風に述べたもの。12巻。武江は武蔵(むさし)国江戸の意。編者は、神田雉子(きじ)町名主の斎藤幸成(ゆきなり)(月岑(げっしん))。1848年(嘉永1)に正編8巻、1878年(明治11)に続編4巻が成立。正編の記事は、徳川家康入国の1590年(天正18)から1848年(嘉永1)まで、続編はその翌年から1873年(明治6)までである。その内容は、火事と諸国の名刹(めいさつ)からの本尊(ほんぞん)仏像の出開帳(でがいちょう)の記事がおびただしく、また、種々の江戸の事物起源について、俗説の誤りを訂正した記述も多い。完璧(かんぺき)とはいえないが、史料として有益である。「江戸叢書」「東洋文庫」に所収

[水江漣子]

『金子光晴校訂『武江年表』2冊(平凡社・東洋文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「武江年表」の意味・わかりやすい解説

武江年表 (ぶこうねんぴょう)

江戸300年にわたる精細な年表。斎藤月岑げつしん)著。正編8巻8冊,続編4巻4冊。正編は1849年(嘉永2),50年に江戸須原屋伊八ら刊。続編は未刊のまま残った。正編は1590年(天正18)より1848年まで,続編は1849年より73年までを収める。内容は地理の沿革,風俗,事物起源などで,近世江戸における世態風俗の変遷を知るうえに便利な文献。近世末は,自身の日記をも材料としたが,体裁は《大江戸春秋》にならっている。
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百科事典マイペディア 「武江年表」の意味・わかりやすい解説

武江年表【ぶこうねんぴょう】

斎藤月岑(げっしん)編。正・続12巻。正編は1848年,続編は1878年に成立。1590年徳川家康の関東入国から1873年までの江戸府内外の出来事を編年に記録。江戸の地理的沿革・風俗等を克明に記載。喜多村信節に《武江年表補正》がある。→江戸名所図会

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武江年表」の意味・わかりやすい解説

武江年表
ぶこうねんぴょう

江戸府内外に起った事柄を編年体に記したもの。 12巻。斎藤月岑 (幸成) 著。正編8巻は嘉永1 (1848) 年,続編4巻は 1878年に成立。正編は天正 18 (1590) 年徳川家康の関東入国から嘉永1年まで,続編は同2年から 1873年までで,江戸の地理の沿革,風俗の変遷,巷談,異聞などを記録している。 (→江戸名所図会 )

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「武江年表」の解説

武江年表
ぶこうねんぴょう

江戸の政治・社会・文化に関する総合年表。正編8巻・続編4巻。斎藤月岑(げっしん)著。正編は1849・50年(嘉永2・3)に江戸の須原屋伊八らによって刊行されたが,続編は未完。正編は1590~1848年(天正18~嘉永元),続編は翌49~73年(明治6)の記事を収載。江戸の地理沿革・風俗・事物起源などからなり,近世の江戸の風俗を知るうえでの基本史料。「東洋文庫」所収。

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