日本歴史地名大系 「桂野村」の解説 桂野村かつらのむら 愛知県:豊田市松平地区桂野村[現在地名]豊田市桂野町郡界(ぐんかい)川と巴(ともえ)川が分流する地点から、一・五キロほど東の郡界川沿いにある。現東加茂郡下山(しもやま)村方面から長沢(ながさわ)―滝脇(たきわき)―七売(なのうり)―川向(かわむき)―桂野―中垣内(なかがいと)を結ぶ滝見(たきみ)道と、九久平(くぎゆうだいら)―中(なか)村―中垣内―桂野を結ぶ雪広(ゆきひろ)道が通る。字北洞基地には中世の五輪塔が五基ある。垣外田の地名も残る。近世初めは幕府領で、寛永二年(一六二五)九久平陣屋支配となって明治に至る。貞享三年(一六八六)の三州賀茂郡桂野村田畑検地帳と同年の山林改帳(以上桂野区有)によれば、村高一三〇石を一四五石三斗と改出し、山年貢を賦課されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by