日本歴史地名大系 「桃崎村」の解説 桃崎村ももざきむら 三重県:熊野市桃崎村[現在地名]熊野市五郷(いさと)町桃崎大井谷(おおいだに)村の東北、北山川の大支流大又(おおまた)川(桃崎川)に面する。小名高尾谷(たこだに)は大又川の支流高尾谷川に沿う。慶長六年(一六〇一)の検地帳(徳川林政史蔵)に「桃崎村」と記される。近世初期の家数五〇(「新宮藩御勘定方旧記」和歌山県史近世史料編)。北山組に属する。寛文一〇年(一六七〇)から元禄二年(一六八九)にかけての新田畑検地帳の写が伝わり、宝永元年(一七〇四)・享保八年(一七二三)・元文三年(一七三八)・寛保二年(一七四二)にも新田が開発された(「新田検地帳」徳川林政史蔵)。 桃崎村ももざきむら 青森県:五所川原市桃崎村[現在地名]五所川原市太刀打(たちうち)津軽平野北部、南は太刀打村支村尻無(しりなし)村、北は沖飯詰(おきいいづめ)村に接する。貞享四年(一六八七)の検地帳に太刀打村支村桃崎村として田方二七町六反六畝二五歩・畑方八町五反九畝二一歩、田畑屋敷合せて三六町二反六畝一六歩、村高二〇九・七七九石とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by