日本歴史地名大系 「桐分」の解説 桐分きりぶん 長野県:松本市桐分[現在地名]松本市桐一丁目・二丁目・沢村(さわむら)桐原分の略。名称の起りは中世里山辺(さとやまべ)の桐原氏の所領の食込みによる。松本城下町の北と、庄内(しようない)組蟻(あり)ヶ崎(さき)村に接する地帯で、地籍の入込みがはげしい。中世以来の所領関係によるものと思われる。松本藩水野氏時代の家中新切(かちゆうしんぎり)もある。天正検地に「桐原分七百拾五石一斗七合」、「信府統記」に「御朱印高七百拾五石一斗七合」とあり、享保九年(一七二四)当時の石高は一千二〇石五斗五升七合八勺と増加。寛文年間(一六六一―七三)の田は二二町七畝二四歩、畑は五四町六段二畝二〇歩である。水田の用水は女鳥羽(めとば)川支流の大門(だいもん)沢と幾つかの用水池からとり、水の便はよくない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by