桟留縞(読み)さんとめじま

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

近世の初め、インドのチェンナイ(マドラス)付近にあるサントメSan Tome(英語ではセント・トマス)から渡来した木綿の縞織物。この織物が広く日本で生産されるようになると、外来のものは唐桟留(とうざんどめ)、略して唐桟といった。紺地に蘇枋(すおう)染めの赤糸入りのもの、浅黄縞のものなどがあるが、いずれも細番手の綿糸を使い、砧(きぬた)仕上げを施してあるため、地合いが滑らかで光沢があり、珍重された。ほとんどが経(たて)縞で、一般に着尺地として使われ、粋(いき)な姿をつくりだした。国産化は、元和(げんな)年間(1615~1624)に伊勢(いせ)松坂で縞木綿がつくられ、各地で盛んに製織されたが、武州(埼玉県)川越(かわごえ)で、幕末につくられたものは、洋糸を使い、川越唐桟(川唐)としてよく知られた。

[角山幸洋]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の桟留縞の言及

【尾張国】より

…繰綿は商人たちが買い集めて一宮や岩倉の市に出し,ここから北陸や信州に送られ地元でも糸(かせいと)にひかれ,さらに名古屋や知多方面へ運ばれた。他方,これを背景として木曾川沿いの村々で西陣から技術を導入して桟留(さんとめ)縞が作られ,後に生産の中心が一宮や起方面に移り,やがて絹糸を混ぜた結城縞の生産が主流を占めた。織元は自分の仕事場に10台前後の織機をおき,女子奉公人を集めて生産するようになり,製品は江戸や大坂にも出荷された。…

【唐桟】より

…唐桟留の略称で,桟留(さんとめ)縞ともいい,聖多黙(さんとめ)縞,三止女(さんとめ)縞とも記された。南蛮船によって17世紀ころから舶載された織物の一種。…

【尾西織物】より

…愛知県の尾西市,一宮市津島市を中心とする尾張西部地方は古くから織物業が発達したが,この地域で生産される織物をいう。1764年(明和1)京都西陣から桟留縞(さんとめじま)製織技術が,中島郡(おこし)村(尾西市起町)に伝えられ,20年余りのち,京都から菅大臣縞の技法が伝えられた。1829年(文政12)に加賀金沢の商人が,〈尾州桟留縞は諸国流行の品〉と述べるほどに好評を得て特産物化した。…

※「桟留縞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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