チェンナイ(読み)ちぇんない(英語表記)Chennai

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チェンナイ」の意味・わかりやすい解説

チェンナイ
ちぇんない
Chennai

インド南部、タミル・ナド州の州都。同州北東部のベンガル湾に面する港湾都市で、インド南部の政治、経済、文化の中心となっている。イギリス植民地時代より長くマドラスMadrasとよばれてきたが、1997年に古来の呼び名のチェンナイに名称変更した。人口421万6268(2001)。市の起源は、1639年イギリス東インド会社が、土侯からマドラス・パトナムとよばれる寒村を手に入れ、城塞(じょうさい)を構築したことにさかのぼる。2年後、東インド会社の本部が置かれて以来発展したが、18世紀には諸勢力の攻防の的となり、1746~48年にはフランスの手に落ちたこともある。おもな産業は綿織物工業で、小型乗用車、鉄道車両などの組立て機械工業や映画産業も盛んである。国際貿易港であるチェンナイ(マドラス)港からは綿花、皮革、植物油などを輸出する。市街コロマンデル海岸の低平地にあり、北部をコーウム川が、南部をアディヤール川が蛇行しながら流れている。コーウム川の河口北岸にセント・ジョージ城塞があり、その北側に市街地発展の中心となったジョージ・タウンがある。チェンナイ港に接するジョージ・タウンは経済機能の集中地区であり、官庁、会社事務所、問屋などが密集し、日中は人や荷車、自動車で喧騒(けんそう)の渦のなかにある。これに対し、コーウム川の南側には住宅地が広がり、アンナ・サライ(マウント通り)沿いに大きな銀行、商店、レストランが並ぶ。またサウス・ビーチ通りは美しいマリーナ海岸に沿い、市民の散策地となっている。市街はコルカタカルカッタ)やムンバイ(ボンベイ)と比較してヤシ類をはじめとする樹木が多く、「緑の街」ともよばれている。インドにおけるもっとも古い大学の一つであるマドラス大学をはじめ、工科、医科カレッジなどの高等教育機関や各種研究機関が数多くある。また1854年に創設されたマドラス博物館には、ドラビダの高い文化水準を裏づける各種出土品が展示され、公共図書館、高等裁判所などの存在とともに、南インド文化の中心としてのチェンナイの地位を高めている。

[貞方 昇]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チェンナイ」の意味・わかりやすい解説

チェンナイ
Chennai

インド南部,タミルナードゥ州の州都。港湾都市。州北東部に位置し,ベンガル湾に臨む。市中を流れるクーアム川が市域を南北に等分し,バッキンガム運河によってアディヤル川と結ばれる。かつてマドラス Madrasと呼ばれたが,1996年タミル語のチェンナイに名称変更。 1639年イギリス東インド会社が交易の基地として開き,セントジョージ要塞を築いた。市街地は城塞の周囲に発展し,コロマンデル海岸におけるイギリスのインド支配と貿易の拠点となった。 1746~48年一時フランスに占領された。重要な商港で,皮革製品,綿織物,鉄鉱石などを輸出。木綿の織布,車両,自転車,自動車工業のほか,映画産業がある。マドラス大学 (1857創設) ,高等裁判所,灯台,チェンナイ博物館,公共図書館のほか,多数のドラビダ様式の寺院があり,同国南東部の文化の中心地。鉄道,道路網の結節点で,国際空港もある。人口 421万 6268 (2001) 。

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