唐桟留の略称で,桟留(さんとめ)縞ともいい,聖多黙(さんとめ)縞,三止女(さんとめ)縞とも記された。南蛮船によって17世紀ころから舶載された縞織物の一種。南インド東岸の港町セント・トマスSt.Thomasよりもたらされたと伝え,この地名がなまって〈サントメ〉となったといわれる。唐桟の唐は唐物つまり舶来品をさし,江戸後期に日本で模倣されはじめた和物の桟留縞に対し,特に舶来のものを唐桟留と称するようになった。また唐桟の異名に〈奥島〉があるが,《守貞漫稿》には,将軍が唐桟を袴地とし,大奥でも用いたことからでた名称であると記してある。その特色はきわめて細い綿の平糸を経緯(たてよこ)とも2本引き揃えにして用い,平織にしたもので,地合いが非常に密で平滑であり,光沢がある。紺地に赤糸入りや,浅葱(あさぎ)地の細竪縞,格子や桟崩(さんくずし)など色や柄に種々あり,それぞれに蘭立(乱縦),胡麻殻(ごまがら),牛蒡(ごぼう)縞,西川,鰹縞,網代,藍三筋などの名が当てられている。細縞で密なものほど珍重され,渡来の年代差によって古渡り,中渡り,新渡りなどと区別されているが,はっきりと年代的にとらえることは困難である。しかし年代が下るにしたがって糸も太く,概して織りも粗いものとなっている。江戸中期以降,一般に武士は冬袴に,庶民の間では晴着に準ずる羽織や着物,袋物などに用いた。天保年間(1830-44)には和物も各地でつくられはじめ,特に武蔵の川越から産出される桟留縞は〈川唐〉の名で広く町人階級に消費層を得た。
執筆者:小笠原 小枝
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桟留縞(さんとめじま)のうち、オランダ人によって輸入されたものにつけられた名称で、唐桟留(どめ)ともいう。また、一般に桟留縞のうちで良質の桟留に対してつけられることがある。紺地に蘇芳(すおう)染めの赤糸か、浅黄(あさぎ)糸の入った縦縞の綿織物で、中世末以来、南方諸国から輸入され、日本の染織に大きな影響を与えたが、国産化されても輸入品との間には品質に大きな差異があり、唐桟が珍重された。埼玉県川越(かわごえ)地方では、1861年(文久1)に中島久平が横浜の米館から洋糸を購入し、中村徳兵治、山田紋右衛門と計って唐桟に模して木綿縞を織り、これが川越唐桟(川唐(かわとう))といって一般に知られたことがある。現存の房州唐桟は、斎藤豊吉によって伝統が受け継がれ、千葉県無形文化財に指定されているが、これは1868年(明治1)昭憲(しょうけん)皇太后の殖産所で伝習した技術を受け継いでいるものである。
[角山幸洋]
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…宝永年間(1704‐11)豪商淀屋辰五郎が財産を没収された罪科の第1条は白無垢の肌着を用いたことであったが,のちには町人も葬式には白無垢を着るようになった。また武士は光沢のあるもの,町人は光沢のないものを着るなど,江戸初期にはそれによって材料の優劣を示したものであったが,江戸中期以後町人の着た木綿の唐桟(とうざん)は,武士の着た絹の上田縞などの5倍以上も高価なものであった。こうした着物の身分差の崩壊は,武士と町人の力関係の変化を示し,身分制の崩壊と正比例している。…
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