梅洞新地
うめどうしんち
権現山(二七三・二メートル)の西側山麓、梅洞・竹洞地先に位置し、百貫石から北西の湯谷を結ぶ堤防内側の標高二メートル余の干拓地。明治一四年(一八八一)の「郡村誌」の松尾村の堤塘として「沖潮受堤 海岸村ノ坤、本地々境ヨリ西、字下椿原界ニ至ル長十五丁五十二間」とある。この新地は文化三年(一八〇六)藩校時習館の学料新田として築立てられた(熊本藩年表稿)。文政五年(一八二二)の上松尾村梅洞御開田畑塩浜見図帳(県立図書館蔵)によると、惣畝数四八町六反余のうち、田一〇町七反余・畑三三町五反余、塩浜畝数四町三反余とあり、庄屋槌田尉助のほか、小百姓三六・御郡筒三一・御郡筒組役四・御郡筒小頭一・塩浜受込一がいた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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