梅野村(読み)うめのむら

日本歴史地名大系 「梅野村」の解説

梅野村
うめのむら

[現在地名]中津江村合瀬ごうせ

現中津江村の中ほど、東の栃原とちばる村、西の中西なかにし村に挟まれたかたちの村域で、梅野川流域の丸蔵まるぞう・梅野・宮園みやぞの鯛生たいお川流域の作草さくそうつつみすだれだいら中川内なかごうちなどの集落がある。南に兵古へご山・酒呑童子しゆてんどうじ山がそびえる。宮園に鎮座する津江神社は国常立尊などを祭神とし、延徳三年(一四九一)銘の再興棟札を伝え、慶長五年(一六〇〇)の棟札には「大檀那梅野村伝右衛門尉長谷部信久」と記される。


梅野村
うめのむら

[現在地名]武雄市武内町たけうちまち梅野

現武内町の西南隅に位置し、標高二四七メートルの四方天よもてん山の北東麓。慶長絵図に「梅野」とある。松浦川上流で、海正原かいしようばる鯰渕なまずぶちなどの地名がある。

この地域は室町時代塚崎つかざき庄に含まれ、江戸時代には佐賀藩武雄領となり山内やまうち代官所の管轄であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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