森永村(読み)もりながむら

日本歴史地名大系 「森永村」の解説

森永村
もりながむら

[現在地名]国富町森永

須志田すしだ村の南に位置し、西は入野いりの(現綾町)。南に隣接する向高むこうたか村の南西にも当村の飛地がある。東は竹田たけだ村。村内を肥後街道が通る。中世には守永とも記された。天正一六年(一五八八)豊臣秀吉から「もりなか」一六町が高橋元種に与えられたが(同年八月四日日向国知行方目録)、慶長一八年(一六一三)元種改易により一時幕府領となり、同一九年延岡藩有馬氏領となった。寛永一八年(一六四一)有馬元純に分知されたが、正保元年(一六四四)元純の出家によって上知され、幕府領延岡藩預となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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