森長村(読み)もりながむら

日本歴史地名大系 「森長村」の解説

森長村
もりながむら

[現在地名]新城市須長すなが

須長村内の西部が慶長一〇年(一六〇五)に分れて成立。菅沼家の領地目録(新城市誌)では六七石余と新田三石余の村である。安政七年(一八六〇)の火消人数定(新城町誌)では家数一一。北方の丘陵地帯に須長古墳群の第五―一〇号墳の六基の古墳があり、いずれも径一〇メートル前後の円墳であるが、一部はすでに破壊されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む