植月北村(読み)うえつききたむら

日本歴史地名大系 「植月北村」の解説

植月北村
うえつききたむら

[現在地名]勝央町植月北

植月中村の北に位置する。正保郷帳に村名がみえ、田六一五石余・畑一〇一石余。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では改出高一四三石余・開高六二石余、村位は下。寛文六年(一六六六)の植月北村地坪本帳書分帳(定兼文書)に毛付高八六一石余とあり、給人は津山藩家臣長尾隼人三四一石余・湯浅丹波一二四石余・対馬守一五七石余など。美作国郡村高并戸数里程事(武家聞伝記)によると延宝(一六七三―八一)頃と考えられる戸数七五(うち常重一八・新町九・宮城四・とはの九・高ね二三など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む