植月庄(読み)うえつきのしよう

日本歴史地名大系 「植月庄」の解説

植月庄
うえつきのしよう

和名抄」勝田郡殖月うえつき郷の郷名を継ぐものか。植月東・植月北・植月中を遺称地とし、たき川右岸の現勝央町北西部一帯に比定される。「建内記」嘉吉元年(一四四一)八月記の紙背文書によると、岡崎少納言家の有する当庄領家職・所職名田などを山名教清らが競望し、違乱がなされていたことが知られる。同年九月二五日条には相違なしとあるが、同二年四月四日条には岡崎周茂の当庄下向が記され、文安四年(一四四七)正月一日条には旧年植月庄より上洛とある。同書にはこの間に周茂に関する記述が散見するので、再下向であったとみられる。あるいは違乱に対する所務確保のための下向であったか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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