植田増吉(読み)ウエダ マスキチ

20世紀日本人名事典 「植田増吉」の解説

植田 増吉
ウエダ マスキチ

大正・昭和期の労働運動家,友禅工



生年
明治24(1891)年1月23日

没年
昭和32(1957)年12月31日

出生地
兵庫

経歴
小学校卒業後、16歳で大阪に出て友禅工となる。大正8年大日本友禅工組合を組織し、西尾末広や三田村四郎ら関西の労働運動家たちと連絡を取りつつサンジカリズムに基づいた活動を展開、自治工場日本友禅を設立した。三田村らの転向後もアナーキストたちと行動を共にし、15年静岡県浜松の日本楽器争議指導。同年6月静岡県知事官舎に放火して逮捕され、懲役2年の判決を受けた。出獄後は友禅工の意匠権確立運動に挺身した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「植田増吉」の解説

植田増吉 うえだ-ますきち

1891-1957 大正-昭和時代の労働運動家。
明治24年1月23日生まれ。大正8年大阪,兵庫で大日本美術友禅工組合を組織してサンジカリスムにもとづいた労働運動を展開し,自治工場日本友禅を設立。15年浜松の日本楽器争議で懲役2年。出獄後,友禅工の意匠権確立運動につくした。昭和32年12月31日死去。66歳。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android