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西尾末広 にしおすえひろ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西尾末広
にしおすえひろ

[生]1891.3.28. 香川
[没]1981.10.3. 川崎
政治家。年少で旋盤工となり,1919年労働運動に入る。 25年労働総同盟政治部長,26年社会民衆党結成に参画。 28年第1回普通選挙で衆議院議員に当選。第2次世界大戦中も大政翼賛会産業報国会に属せず,敗戦後日本社会党結成の中心人物となった。 46年同党書記長。 47年初の片山社会党内閣の官房長官となる。 48年芦田内閣の副総理となったが,昭和電工事件に連座して失脚。無罪となって政界復帰後,右派首領として活動,60年にはついに党を割って民主社会党 (民社党) を結成,初代委員長となった。 67年に辞任。 72年には政界を引退した。戦前,戦後を通じ,社会主義運動の右派勢力の実力者であった。

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デジタル大辞泉の解説

にしお‐すえひろ〔にしをすゑひろ〕【西尾末広】

[1891~1981]政治家。香川の生まれ。大正期に労働運動に入り、各種争議を指導。社会民衆党の結党に参加。第二次大戦後に日本社会党結党の中心となり、芦田内閣の副総理に就任するが昭電疑獄で辞任。日米安保条約改定に際し日本社会党脱党民主社会党創立

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百科事典マイペディアの解説

西尾末広【にしおすえひろ】

政治家。香川県出身。鉄工所の工員から労働運動に参加,1928年社会民衆党から衆議院議員に当選。第2次大戦後日本社会党の結成に参加,書記長。片山哲内閣の官房長官,芦田均内閣の副首相。
→関連項目猪木正道

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西尾末広 にしお-すえひろ

1891-1981 大正-昭和時代の労働運動家,政治家。
明治24年3月28日生まれ。大正8年友愛会にはいり,各種争議を指導。昭和3年衆議院議員(当選15回)。戦後,社会党結成に参加,書記長。22年片山内閣の国務相兼官房長官。翌年芦田内閣の副総理となるが,昭和電工事件に連座して辞任。35年民社党を結成,初代委員長となった。昭和56年10月3日死去。90歳。香川県出身。
格言など】政治は妥協なり

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世界大百科事典 第2版の解説

にしおすえひろ【西尾末広】

1891‐1981(明治24‐昭和56)
労働運動家,政治家。香川県生れ。高等小学校中退後,大阪砲兵工廠旋盤見習工をはじめに町工場を転々とするうちに友愛会を知り,加入(1914)。その後職工のみによる労働組合をめざして,1916年職工組合期成同志会を結成。同志会の自然消滅後,友愛会に復帰し,21年大阪電灯,藤永田造船所など関西の大労働争議を指導して名をはせた。総同盟大阪連合会常任を経て,24年加藤勘十に代わって総同盟主事に就任し,左派除名を断行。

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大辞林 第三版の解説

にしおすえひろ【西尾末広】

1891~1981) 政治家・労働運動家。香川県生まれ。右派社会民主主義の立場に立ち、社会民衆党の創立に参加。第二次大戦後、日本社会党を結成、書記長。1959年日米安保条約改定問題で脱党し、60年民主社会党を結成し委員長。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西尾末広
にしおすえひろ
(1891―1981)

労働運動出身の政治家。香川県出身。高等小学校中退後、大阪で旋盤工になる。1915年(大正4)から労働運動に入り、1919年友愛会に参加、翌1920年同会大阪連合会主務となり各種争議を指導。1925年日本労働総同盟(友愛会が改称)第一次分裂では左派組合除名の先頭にたつなど、右派社会民主主義の立場をとった。1926年社会民衆党創立に参加、1928年(昭和3)第1回普通選挙以後、衆議院議員に当選15回。1938年議会で国家総動員法案賛成演説中の舌禍事件で議員を除名されたこともある。大政翼賛会、産業報国会には加わらなかったこともあって、敗戦後、日本社会党結党の中心になり、書記長に就任した。
 1947年(昭和22)春、片山哲(かたやまてつ)社会党首班連立内閣の国務大臣・官房長官、続く芦田均(あしだひとし)内閣の副総理となったが、昭電疑獄に連座、失脚した。のち無罪が確定し、1952年右派社会党結成時に復党。1955年左右両社会党統一後、党顧問になったが、1959年の大会で日米安全保障条約改定問題に対する言動に左派が反発、統制委員会付託となり、同志とともに脱党。1960年1月民主社会党(後、民社党)を結成、1967年まで初代委員長を務めた。1972年政界を引退。生涯、反共、現実主義を貫いた。[宮 章]
『西尾末広著『西尾末広の政治覚書』(1968・毎日新聞社) ▽西尾末広著『大衆と共に――私の半生の記録』再版(1971・日本労働協会) ▽西尾末広著、西尾安裕編『大衆政治家西尾末広』(1993・新政策調査会) ▽江上照彦著『西尾末広伝』(1984・西尾末広伝記刊行委員会)』

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世界大百科事典内の西尾末広の言及

【社会主義協会】より

…他方,社会党内にあって党を階級的に強化するための実践は,党内左翼を中心として機能してきた。すなわち西尾末広らの民主社会主義路線や江田三郎の構造改革路線などを激しく批判し,青年層を中心に勢力を拡大した。そのため党内の他派との組織的対立や党内批判が強くなり,78年2月の第11回大会で,それまでおかれていた労働組合などの組織内グループを廃止するなど,思想集団としての立場を強化する自己改革を行った。…

【自由党】より

… 1945年11月9日,鳩山一郎を総裁とし,幹事長を河野一郎とする日本自由党が結党された。1週間遅れて結党された日本進歩党が大日本政治会の多数を結集し旧政党復活の印象を与えたのに対し,自由党は旧政党人であっても翼賛体制下における反東条派を結集する姿勢を示し,西尾末広など社会民主主義者の一部をも包含する動きを見せた。さらに,吉田茂などの新しい政党人を迎える方向で結党されたので,自由党は新保守党のイメージを選挙民に与えることに成功した。…

【昭電疑獄】より

…48年4月,衆議院不当財産取引調査委員会がこの問題を取り上げてから政治問題となり,警視庁は5月22日,昭和電工本社を強制捜査,6月23日には日野原を逮捕した。事件は拡大し,9月に元農林政務次官重政誠之,大蔵省主計局長福田赳夫,民主自由党顧問大野伴睦,興業銀行副総裁二宮善基,経済安定本部長官・前蔵相栗栖赳夫,10月には前副総理西尾末広らが逮捕された。芦田内閣は10月7日ついに総辞職し,芦田も12月7日に逮捕された。…

【日本社会党】より

…(2)敗戦後まもない1945年9月22日,安部磯雄高野岩三郎賀川豊彦の呼びかけで準備会が発足し,11月2日に共産党を除く戦前の無産政党関係者で結成した政党。
[左右両派の対立,分裂,統一]
 結党の実質的推進者は西尾末広平野力三,河野密の3人で,書記長には旧右派の社会民衆党系の片山哲が就任した。反共右派主導で発足し,その新憲法構想も〈国家主権論〉で天皇制の修正存続を考えていた。…

【民社党】より

…1960年1月に社会党を離党した西尾末広,西村栄一らを中心に結成された政党。94年,解散。…

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