改訂新版 世界大百科事典 「日本楽器争議」の意味・わかりやすい解説
日本楽器争議 (にほんがっきそうぎ)
1926年4~7月,静岡県浜松市の日本楽器製造(現,ヤマハ)本社工場でおきた争議。1920年代半ばに,地方都市に広がった労働争議の代表として知られる。日本労働組合評議会(評議会)系の浜松合同労組の勢力が急速に浸透した同工場1300の労働者は,4月21日に衛生設備改善,最低賃金の保障など16項目の要求を提出,これが拒否されるとストライキに突入した。評議会本部は三田村四郎(1896-1964)ら最高幹部を現地に派遣し,総力をあげて争議支援に取り組んだ。会社側が雇った暴力団の暴行や警察の弾圧は激しかったが,105日間の長期ストライキとなり,その過程で〈争議日報〉の発行など新しい戦術もあみ出された。争議は350名の解雇をもって労働者の敗北で終結した。
執筆者:三宅 明正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報