精選版 日本国語大辞典 「兵庫」の意味・読み・例文・類語
ひょう‐ご ヒャウ‥【兵庫】
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兵庫県神戸市のほぼ中央にある兵庫区の港湾部。和田岬に抱かれた古くからの天然の良港で、奈良、平安時代は摂播五泊の一つ大輪田泊(おおわだのとまり)として知られた。港の北方、会下山麓(えげさんろく)一帯は平氏の福原荘(ふくはらのしょう)で、この地に別業をもつ平清盛(きよもり)は港を重視し、経ヶ島を築造するなどして宋船(そうせん)も出入りできる要港にした。一時福原に都が置かれたのも、清盛が港に着目したためである。室町初期に八部(やたべ)郡の郡家周辺の集落が南に延び、港と結ばれて兵庫の町が形成された。中世には兵庫津とよばれ畿内(きない)の重要港であった。浜本陣が置かれ西国街道も迂回(うかい)してここを通過した。江戸時代は大坂の外港として西廻(にしまわり)海運の中心であり、人口約2万人の町が形成された。1858年(安政5)兵庫港の開港が決まったが、生田(いくた)川尻(じり)の神戸浦に新港が設置(1867年開港)され、以来、繁栄を奪われ、内国貿易中心の港となった。一方、港湾背後の沖積地には、明治以降、鐘紡(かねぼう)(のちカネボウ)、三菱(みつびし)造船(現、三菱重工業)、川崎車輛(しゃりょう)(現、川崎重工業)、三菱電機、川崎造船(現、川崎重工業)などの大工場が進出した。現在、神戸市の工業の中心地となっている。JR山陽本線が通じ、兵庫駅から和田岬線を分岐する。そのほか、市営地下鉄海岸線、国道2号などが通じている。
[藤岡ひろ子]
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
神戸市の地名。古代は摂津国八部(やたべ)郡に属した。行基(ぎょうき)が整備した摂播五泊の一つ大輪田泊(おおわだのとまり)。平安末期に平清盛が経ケ島を築造し,鎌倉時代に重源(ちょうげん)が修復して日宋・日明貿易の拠点となった。中世は西国物産の中継地で兵庫関がおかれ,応仁・文明の乱で軍事拠点となったため日明貿易は堺に移り荒廃した。近世は西廻海運の中継地として栄えたが,兵庫開港の際,居留地造成の余地がなかったため神戸港がこれにかわった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…1729年にはその商域などにより,下り米問屋・関東米穀三組問屋・地廻米穀問屋の3種に区分された。下り米問屋は東海地方以西の57ヵ国からの下り米を引き受ける問屋で,この下り米の多くは大坂や兵庫などの上方諸都市を経由して回送されたものであった。関東米穀三組問屋は関八州と陸奥の9ヵ国からの商人米を担当し,堀江町・小網町一丁目・小舟町の河岸の3町に居住する米問屋が所属した。…
…これらの事実から,ナタネないしその加工品たる水油の,全国的商品としての位置の高さが察せられる。大坂に積み登されるナタネは,17世紀には大坂島之内の人力絞り油屋で絞られていたが,18世紀に入ると,瀬戸内海を東上するナタネを,灘目,兵庫で買い取って,六甲山系の川々に建設された水車によって絞る絞り油業の展開がみられた。1743年(寛保3)ごろにはナタネは大坂へ20万石,灘目,兵庫へ18万~19万石が登されていたとする史料があるから,18世紀初めころから急速に灘目の水車絞り油業が台頭し,大坂の人力絞り油業に迫るに至ったことがわかる。…
※「兵庫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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