椎根村(読み)しいねむら

日本歴史地名大系 「椎根村」の解説

椎根村
しいねむら

[現在地名]厳原町椎根

上槻こうつき村の北、佐須さす川河口の南にある。「津島紀略」では志伊袮と訓じる。西方の高山にある遠見壇とおみだんに遠見番所が置かれた(元禄一三年対馬国郡絵図)。「海東諸国紀」にみえる「沙愁浦四処合三百余戸」は椎根を含むとされる(ほかは樫根・下原・小茂田)。天文年間(一五三二―五五)の一一月一三日の宗盛廉安堵書下(佐須郡判物帳)に「しいねの田一せまち」とみえ、「かん田のはたけ」「つるかのふき畠」など五ヵ所とともに宗彦右衛門尉(宗家長の家老か)に安堵された。慶長四年(一五九九)椎根の桐谷宇右衛門が宗義智から給分として宛行われたが、その内訳は「こくるすの段のこは麦四斗入参俵まき」「立ひらのはたけ六升まき」「はたるの田五升おろし、中てん、一畝まち」「かんたのはたけ麦三斗弐升まき」「塩入之田四升おろし、中てん」など二九ヵ所で畠四斗入一〇俵二斗四升蒔・木庭四斗四〇俵九升蒔・田五升おろし、および被官一〇人で、ほかに庶子分として「しいね」の一〇ヵ所。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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