日本歴史地名大系 「厳原町」の解説 厳原町いづはらまち 長崎県:下県郡厳原町面積:一七五・五九平方キロ対馬の南部に位置し、北は美津島(みつしま)町と接する。東は対馬海峡(東水道)、西は朝鮮海峡(西水道)に面し、海岸線は対馬島のなかでは比較的単調で、大きな港湾がない。南より竜良(たてら)山(五五八・五メートル)・矢立(やたて)山(六四八・五メートル)・有明(ありあけ)山(五五八・二メートル)・白(しら)嶽などの高い山嶺が連なり、山高く谷深く、広い平野はない。河川は佐須(さす)川・瀬(せ)川・阿連(あれ)川・久根(くね)川など西面(にしめ)に多いが、その多くは流路が短く、また浅く、急流で水枯れが多い。国道三八二号、主要地方道の厳原豆酘(つつ)―美津島線・桟原(さじきばら)―小茂田(こもだ)港線が通る。当町域では縄文時代の石器とみられる遺物が阿連・椎根(しいね)・豆酘・浅藻(あざも)などで採集されている。弥生時代の遺跡では南端部の豆酘にあるオテカタ遺跡で中期の城ノ越式土器とともに朝鮮半島系無文土器が出土、また阿連などで同後期の広鋒青銅矛が見つかっている。豆酘の七世紀初頭とされる保床山(ほとこやま)古墳は横穴式石室で、下県直の墳墓に比定されている。日本神話の主神として高皇産霊神があり、「日本書紀」に高皇産霊神と関連して対馬下県直がみえる。中国大陸の亀卜が対馬の卜部に伝承され、その卜術者が朝廷に出仕していたが、対馬卜部が祀る多久頭(たくつ)神社・雷(いかずち)神社が町域にあって、その拠点であったことをうかがわせる。天武天皇三年(六七四)対馬で初めて銀を産しているが、これは樫根(かしね)・椎根・久根(くね)の山間にあったとされ、式内社の銀山(ぎんざん)神社・銀山上(ぎんざんじよう)神社が祀られる。またこの頃与良(よら)に国府が造営されたといわれ、北西の清水(しみず)山南麓に島分(とうぶん)寺が建立されたという。律令制下では下県郡に属し、「和名抄」に記される豆酘郷・加志(かし)郷・鶏知(けち)郷・玉調(たまつき)郷を町域に比定する説があるが、これには与良郷と佐須郷の脱漏を補って見直すべきである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by