日本歴史地名大系 「下県郡」の解説
下県郡
しもあがたぐん
対馬は古来より北部を
郡名の表記は下県で、その訓は「延喜式」神名帳にシモツアカタ(吉田本)、「拾芥抄」ではシモツアカタ、シモアカタ、シモカツ、「寛政重修諸家譜」では「しもあがた」とする。中世の下県郡域には古代郷名を継ぐ中世的な郡が四郡あらわれ、宗氏の島内支配の単位を直接反映したものになり、元禄一二年(一六九九)この郡名を郷名に変えるまで公的な郡として機能していた。したがってこの間下県郡は消滅し、対馬島の南部方面という意で下津郡または下郡と称され、シモツとよんでいた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報