楠本浦(読み)くすもとうら

日本歴史地名大系 「楠本浦」の解説

楠本浦
くすもとうら

[現在地名]蒲江町楠本浦

畑野はたの浦の南、入津にゆうづ湾の湾奥西部に位置し、惣名入津浦の内。元和四年(一六一八)佐伯藩主毛利高政から楠本村次右衛門と百姓中宛に勧農の触書が出されている(「毛利高政触書」温故知新録)。同六年当浦内海での旅人の海草採取を禁じ、当浦民の採取・販売が許可された(「毛利高政触書」同書)正保郷帳に楠本浦とみえ、田高六石余・畑高六石余、入津郷に属した。慶安四年(一六五一)の楠本浦田畠割帳(小野家文書)によれば高一二石余・反別四町一反余、家数二四、うち持高一石以上は一名。延宝三年(一六七五)当浦惣百姓が鰯網仕立を運上一五〇匁で願出ている(佐伯藩御用日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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