槻本庄(読み)つきもとのしよう

日本歴史地名大系 「槻本庄」の解説

槻本庄
つきもとのしよう

興福寺領荘園。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の高市郡に「槻本庄田畠七町 灯油免田也」とある。その条里(括弧内は坪数)は二一条二里(六)、二二条二里(五)、三五条一里(三)・二里(八)、三七条二里(三)である。この条里によると、槻本庄の所在は現橿原かしはら小槻おおづく町・大垣おおがき(二一条・二二条)、現高取町大字もり薩摩さつま(三五条)羽内ほうち(三七条)の三地域となり、散在性のつよい荘園と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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