橋本谷(読み)はしもとだに

日本歴史地名大系 「橋本谷」の解説

橋本谷
はしもとだに

[現在地名]武生市大塩町

西南に延びる奥温谷おくぬくたにの支谷で、現在灌漑用池が三ヵ所ある。温谷の旧家橋本家の祖先が、村民を悩ませた荒熊を退治した功によってこの谷を与えられたと伝え、八町歩余の広地一筆で「橋本谷」となっている(王子保村誌)

橋本家は、家祖成俊善太左衛門が新田義貞を助けようと美濃大垣おおがき(現岐阜県)から来国し、義貞の没後当地に居住したといい、永正一一年(一五一四)七月二五日付善一左衛門宛の朝倉孝景知行安堵状をはじめ中世末期の古文書を伝来したが(南条郡誌)、現在は離村絶家となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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