橘川司亮(読み)キッカワ モリアキ

20世紀日本人名事典 「橘川司亮」の解説

橘川 司亮
キッカワ モリアキ

明治〜昭和期の官吏 日本度量衡協会理事;中央度量衡検定所長。 日本のメートル法創始者



生年
明治6年(1873年)

没年
昭和12(1937)年1月2日

出身地
宮城県仙台市

学歴〔年〕
東京帝大理学部物理科卒

経歴
農商務省に入り、商工省に転じ、中央度量衡検定所長となる。昭和9年退職して日本度量衡協会理事となり、計量器工業組合理事長を兼任した。日本のメートル法の創始者と称され、その推進に尽力した功績は多大であり、全国の度量衡技師はいずれも薫陶を受けたと言われる。12年福島県飯坂温泉の火災のため焼死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橘川司亮」の解説

橘川司亮 きっかわ-もりあき

1873-1937 明治-昭和時代前期の官吏。
明治6年生まれ。農商務省にはいり,商工省に転じ,中央度量衡検定所長となる。のち日本度量衡協会理事をつとめ,計量器工業組合理事長を兼任。わが国のメートル法の推進につくした。昭和12年1月2日死去。65歳。宮城県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む