商・工・鉱業を所管した中央官庁。通商産業省(現,経済産業省)の前身。農商工業に関する施策は,1881年以来,一括して農商務省が行っていたが,第1次大戦後の産業発展の結果,農業部門と商工業部門は発展の速度や利害が相違しはじめ,帝国農会等の農業団体の圧力もあり,1925年に同省は商工省と農林省に二分された。商工省は大臣官房と商務,工務,鉱山の3局,その下の13課,および製鉄所,特許局等の付属機関から成る小型官庁であった。しかし昭和初年からの経済恐慌処理と,産業合理化政策の実施,満州事変を契機とする経済の統制化にともない,しだいに業務と機構は拡大した。30年臨時産業合理局が外局として設けられ産業合理化行政を専管し,また同年には通商戦の激化にそなえて貿易課を貿易局に昇格させた。日中戦争開始前後から商工行政は戦争経済のための動員と統制がもっぱらとなり,37年5月臨時産業合理局に替わって統制局が,6月には燃料局,翌年5月には臨時物資調整局が設置された。39年戦争の長期化にともない機構は全面的に改変され,それまでの商・工・鉱の業種別部局課編成から物資別の機構となり,官房のほか総務,鉱産,製鉄,化学,機械,繊維,管理の7内局,1部,4外局となった。41年の再改編後43年軍需省が設置されるや,商工省は解体され,鉱・工部門は軍需省の,商務および軽工業関係は農商省の所管となった。第2次大戦終結とともに商工省は復活したが,49年貿易庁と併せて通商産業省となった。
執筆者:坂本 雅子
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1949年(昭和24)以前に商工業行政を管掌していた中央官庁。農商務省が1881年(明治14)以来、通商・産業(農鉱工)・労働の行政官庁として広範な産業経済諸施策の立案、執行に携わってきたが、第一次世界大戦を契機とした商工業の飛躍的拡大に伴い、1925年(大正14)4月に農林、商工の2省に分割された。商工省は当初、大臣官房のほか商務局、工務局、鉱山局、製鉄所、特許局からなったが、30年(昭和5)には臨時産業合理局、貿易局が設けられ、昭和恐慌下の合理化、輸出増強に努めた。日中戦争後は局の拡充、編成替えをしつつ、生産力拡充、必需物資調達、物価統制に追われた。43年に軍需省と農商省に分離されたが、戦後ただちに復活し、49年には通商産業省となり、官民協調の高成長を推進する中心的機関となった。2001年(平成13)1月、通商産業省は経済産業省になった。
[長 幸男]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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1925年(大正14)4月に農商務省の分割により成立した産業政策担当官庁。当初は工務・商務・鉱山の3局からなる。のち貿易局・保険局を追加,また外局として30年(昭和5)に臨時産業合理局,37年には燃料局を設置。30年代前半の基本的業務は民間企業の指導・監督にあったが,日中戦争後に重点が経済計画の実施に移ったため,39年6月,全面的に機構改革され,鉱産・鉄鋼・化学・機械・繊維の物資別原局を基本に,総合部局として総務局・物価局をおく体制をとった。43年11月,軍需省の設置によりいったん廃止。敗戦直後に復活し,第2次大戦後の復興と改革政策の実施にあたった。ドッジ・ライン施行後に改組され,通商産業省となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…第2次大戦後の日本経済の高度成長を支えたその産業経済政策上の成果は,欧米先進資本主義諸国においても注目されている。 その歴史は古くは1881年4月創設の農商務省にさかのぼるが,直接には1925年設置の商工省がその前身である。発足当時の組織は大臣官房,商務局,工務局,鉱山局のほか,外局として特許局,官営八幡製鉄所が置かれていた。…
※「商工省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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