櫟江庄(読み)いちいえのしよう

日本歴史地名大系 「櫟江庄」の解説

櫟江庄
いちいえのしよう

海西かいさい郡に属し、現佐屋さや町辺りと推定される。藤原氏領、のち皇室領。本願寺証如加判の天文六年(一五三七)一二月二九日付本尊裏書写(「正福寺門徒本尊控帳」一宮市正福寺蔵)に「尾州海西郡櫟江庄堤内雀森」とみえ、現立田たつたすずめもり辺りも含んでいた。

初見は長治三年(一一〇六)二月七日付の東寺政所宛平盛正解(東寺百合文書)で、「故太政大臣家領櫟江御庄田畠」とみえ、藤原教通の子信長家領であった。この時盛正は東寺領莚打里三六町が当庄と相博されたと称し、押領された旨を訴えたが、その後も藤原氏の所領として伝領された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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