武衛流(読み)ぶえりゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「武衛流」の意味・わかりやすい解説

武衛流
ぶえりゅう

近世砲術の一流派。流祖は但馬(たじま)国竹野(たけの)郡(兵庫県城崎(きのさき)郡)の人、武衛市郎左衛門義樹(いちろうざえもんよしき)(?―1696)。弱冠より砲術を好み、初め鳥銃(てっぽう)七流を学んだが、島原の乱に従軍して短筒(たんづつ)や火矢(ひや)の威力を実見し、松平伊豆守(かみ)の臣松永里之助(種子島(たねがしま)流)に従って大短筒(おおたんづつ)の妙を会得し、初め貫(かん)流、のち武衛流を称した。享保(きょうほう)初年大和郡山(やまとこおりやま)藩の稲葉六郎太夫(いなばろくろうだゆう)が有名であったが、本多家の断絶後、その系統は江戸へ移り、さらに尾張(おわり)藩に伝えられ、玉町(たままち)、棒火矢(ぼうひや)、炮烙火矢(ほうろくびや)、短筒小目当(こめあて)などを得意とした。

[渡邉一郎]

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