種子島(読み)タネガシマ

デジタル大辞泉 「種子島」の意味・読み・例文・類語

たね‐が‐しま【種子島】

鹿児島県大隅半島の南方海上にある細長い島。鉄砲伝来の地。面積約446平方キロメートル。
火縄銃の俗称。種子島に漂着したポルトガル人によって伝えられたところからの名。種子島銃

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精選版 日本国語大辞典 「種子島」の意味・読み・例文・類語

たねがしま【種子島】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「種子島」の解説

種子島
たねがしま

大隅半島の南方約三五キロの海上に浮ぶ。大隅諸島の一島で、面積は約四四六平方キロ、県下では奄美大島、屋久島に次いで広い。西之表にしのおもて市・中種子なかたね町・南種子みなみたね町の一市二町からなる。南北に細長い島で、南北の長さは約五八キロ、一方で最大の幅をもつ所でも七キロ足らずである。島の西方一二キロの東シナ海上には周囲一二キロの馬毛まげ島が浮び、また島の南端から西方二〇キロほどの所が屋久島の東端にあたり、この間の海域は種子島海峡とよばれる。島の最高点は西之表市古田ふるたの字十三番じゆうさんばん中種子町との境界付近で、標高二八二・三メートル。面積に比してきわめて低平な島で、全島が台地ないしはなだらかな丘陵地状の地形を示す。標高一〇〇メートル以上の丘陵地は島の北半部に広く分布し、台地は南半部に多い。中部の幅の狭い部分では二〇〇メートルを超える所はまったくない。三角洲・谷底平野などの沖積低地は南東部の海岸や台地・丘陵地の浸食谷の一部にみられるが、その面積はさほど広くはない。島の周囲には数段の海岸段丘が発達、とくに島の中部・南部に位置する東海岸には海食崖で奇岩が多く風光明媚である。河川は島北部に西京さいきよう川・みなと川・甲女こうめ川・川脇こうわき川、島南部に宮瀬みやせ川・こおり川・鹿鳴しかなき川などがあり、南部の三河川の流域には水田が開け、島最大の穀倉地帯となっている。

島の基盤をなすのは古第三紀の始新世―漸新世に形成された礫岩と砂岩、砂岩・頁岩の互層(熊毛層群とよばれる)などからなり、その分布は島の北部で広くみられる。南東部では、これを覆うようなかたちで新第三紀中新世に堆積した茎永層群の砂岩・泥岩や礫岩などが重なっている。島の中央部や北部の谷沿いの所には、さらに新しい増田層とよばれる砂岩やシルト岩の堆積物がみられ、島の複雑な誕生過程を示している。年降水量は西之表市では二二三七ミリ、南種子町中央部では二八六九・五ミリと南北で大きな開きがあるが、気温はほぼ同じで年平均摂氏一六度強というところである。西之表市湊のマングローブは自生群落の北端をなすものとされている。島名については昔日向国より浦田うらだ(現西之表市)へ勧請されたウガヤフキアエズが田地に水を引き、稲の種を蒔始めたことによる(種子島記)、あるいはイザナギとイザナミが当島に降りて始めて稲の種を蒔いたことによる(宝満宮由緒記)などと伝える。なお弥生時代の埋葬遺跡である南種子町の広田ひろた遺跡では、一〇〇体に及ぶ人骨とともに多数の貝符が出土した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「種子島」の意味・わかりやすい解説

種子島(鹿児島県)
たねがしま

鹿児島県に属し、大隅(おおすみ)半島の南約35キロメートルの付近から、ほぼ南へ向かって約58キロメートルにわたり細長く延びる島。幅は広い所でも7キロメートル足らずである。島の南部の西約20キロメートルに、ほぼ円形の屋久島(やくしま)東端がある。この2島のほか、口永良部(くちのえらぶ)島、馬毛(まげ)島をあわせて大隅諸島とよぶ。屋久島が円形に近く、2000メートル近い高山からなるのに対し、種子島は細長く、最高点も282メートルと低平で、丘陵ないし台地状の地形をなす。島の面積は444.99平方キロメートルで屋久島より約60平方キロメートルほど少ない。行政区域は北部より西之表市(にしのおもてし)、熊毛(くまげ)郡中種子町(なかたねちょう)、南種子町の1市2町。地質は、古第三紀に堆積(たいせき)した熊毛層群(砂岩・泥岩などの互層)を基盤岩とし、その上部に新第三紀の茎永(くきなが)層群や、さらに新しい増田(ますだ)層とよばれる泥・砂・礫(れき)岩などの互層で覆われている。ほとんど全域が堆積岩で構成され、この点でも隣の屋久島とは著しく対照的である。島の中央部、中種子町付近では、その幅が狭まり、西側海岸は長浜とよばれる約11キロメートルに及ぶ直線的な砂浜海岸、東側は岩礁の多い海岸となって南部の南種子町へと続く。月平均気温は10℃を下ることはなく、鹿児島市よりはるかに温暖である。また年降水量は約2700ミリメートルで、4000ミリメートルを超える屋久島と比べると少ない。これらの、地形・地質・気候などの自然条件は、この島の植生や農作物などを特色づけている。海岸部を中心に亜熱帯植物が茂り、農作物はサトウキビサツマイモ、タバコ、ラッカセイ、キヌサヤエンドウなどの畑作物、ポンカンタンカンなどの果樹栽培も盛んである。漁業は沿岸漁業が主体で、馬毛島付近でのトビウオイセエビトコブシなどの水揚げがある。

 古代から中世にかけて、種子島は「多褹(ね)嶋」と書かれたり、「多禰嶋」と表示された。当時は多禰国の一部であったが、のちに大隅国に属し、鎌倉時代初期に種子島家の祖先平信基(のぶもと)が南海12島の支配を命じられて以来、江戸時代の終わりまで種子島家が島を支配した。1543年(天文12)、島の南端門倉岬(かどくらみさき)にポルトガル人が鉄砲を伝えた。これがいわゆる「種子島」とよばれた火縄銃である。鉄砲伝来によって、戦国時代以後の戦術が大きく変わったことはよく知られている。1889年(明治22)町村制施行によって、それまでの16か村が北種子、中種子、南種子の3村となった。北種子村は1926年(昭和1)に町制施行して西之表町に改称、1958年に市制を施(し)いた。また中種子は1940年に、南種子は1956年に町制施行。1969年には、門倉岬から約8キロメートル離れた南東端の茎永に、宇宙開発事業団(現、宇宙航空研究開発機構)による種子島宇宙センターが建設され、大隅半島の内之浦と並び宇宙開発の拠点となっている。以上のような自然的、歴史的背景をもち、また先端技術の粋(すい)を集めた宇宙開発のこの地を、観光で訪れる人々も増加している。西之表港、新種子島空港、島を縦断する国道58号など交通・運輸施設も整えられている。鉄砲伝来の記念碑は、門倉岬および西之表市にあり、また同市には「日本甘藷栽培初地之碑(にほんかんしょさいばいしょちのひ)」もある。鹿児島との間には船と航空路がある。屋久島(宮之浦)とも船で結ばれている。島の3市町の総人口3万2467(2009)。

[塚田公彦]



種子島(火縄銃)
たねがしま

日本製火縄銃の俗称。1543年(天文12)に大隅(おおすみ)国(鹿児島県)種子島に漂着したポルトガル人によって初めて日本にもたらされた火縄銃は、最初の製銃地となった種子島の名とともに全国に広まった。

[小橋良夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「種子島」の意味・わかりやすい解説

種子島 (たねがしま)

大隅諸島の一島。鹿児島県に属し,西之表市と熊毛郡中種子(なかたね),南種子の2町に分かれる。面積446km2,人口3万1865(2010)。南北約60km,東西5~10kmで南北に細長く,最高点は282mで低平である。第三紀層を切る海食台地と,それをとりまく数段の海岸段丘からなり,平野に乏しい。年平均気温19℃ぐらいで温暖である。水田は少ないが,サトウキビが広く栽培されて島の中心産業になっているほか,ポンカン,タンカンなどのかんきつ類,タバコ,早期出荷のオランダエンドウの栽培,畜産が行われる。近海には魚種が豊富で,トビウオ,サバ,カツオの漁獲が特に多い。西海岸には砂鉄を多く含む砂丘が発達し,かつてはたたら製鉄も行われた。また江戸時代には能野(よきの)焼が作られた。南端の門倉崎は西に種子島海峡をへだてて屋久島を,東に前の浜をのぞむ景勝の地で,竹崎にはロケット基地の種子島宇宙センターがある。島の中心は北西部の西之表市街で,鹿児島港から1.5~2時間で定期船が通じる。中種子町には種子島空港(2006年旧空港の北方に新種子島空港が開港)があり鹿児島空港と約30分で結ばれている。
執筆者:

九州本土と南の島々とを結ぶ〈海上の道〉にあたり,古くから開けた地で,弥生中~後期の墓地遺跡,広田遺跡(南種子町)をはじめ多くの遺跡が散在する。古代は多褹,多禰の字が用いられ,677年(天武6)に初めてその名が見える(《日本書紀》)。709年(和銅2)には薩摩,多禰と並び記され(《続日本紀》),律令制度上の一国に準じる扱いを受け,島司,島分寺が置かれた。日本最南端の国で熊毛,益救(やく),能満(のま),馭謨(ごむ)4郡があり,隣の屋久島を含んでいた。中国との交通上重視されたためであったが,のち824年(天長1)には多禰国は廃止され,大隅国熊毛・馭謨2郡となった。12世紀には島津荘に属し,田500余町歩。鎌倉時代に入って伊作平氏有道・有平が領有したが,のち地頭名越(なごえ)氏の代官肥後氏が勢力を伸ばした。南北朝時代以降島主となる種子島氏はその系統であるが,《種子島家譜》は平家落人の子孫と伝える。1543年(天文12)にはポルトガル船が門倉崎に漂着して鉄砲を伝来し,その後国産銃(種子島銃)の製作に成功した。戦国期にはまた種子島氏と禰寝(ねじめ)氏との抗争が続き,種子島氏は戦国大名島津氏と結んだが,1595年(文禄4)島津以久(もちひさ)領となった。99年(慶長4)種子島氏が回復,以後江戸末期までその私領であり,幕末には16ヵ村があった。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「種子島」の意味・わかりやすい解説

種子島【たねがしま】

大隅半島の南方約35kmに位置。大隅諸島の一島で,南北に細長く,面積444.30km2。鹿児島県西之表(にしのおもて)市・中種子(なかたね)町・南種子町からなる。西方に馬毛(まげ)島(西之表市),屋久島がある。地形は低平で,全島が台地ないしはなだらかな丘陵状を呈する。最高点は282m。 古くは多【ね】島・多禰島と記し,国に準じた多禰国が成立した。824年同国は大隅国に併合され,以後種子島は同国熊毛(くまげ)郡として推移した。平安時代末に島津荘のうち多禰島が成立。中世の島主種子島氏は,島津荘地頭名越(なごえ)氏の被官肥後氏が地頭代として下向土着したのに始まるとされる。室町期の種子島時氏の時,島全体が法華宗に改宗したという。古くから南海・南蛮との交通に重要な役割を果たし,1543年の鉄砲伝来で知られる。近世は鹿児島藩の支配下,種子島氏の私領種子島郷として推移。が置かれ,製塩や甘藷栽培が行われた。 現在,稲作(早期栽培)のほか,サトウキビ,サツマイモ,たばこ,落花生やポンカン,タンカンなどを栽培。漁業は沿海漁業が中心で,トビウオ,トコブシ,エビ,イカなどがとれる。南種子町に人工衛星の打上げ基地である種子島宇宙センターがある。鹿児島・屋久島と定期船が通じ,中種子町に2006年3月新たに開港した種子島空港がある。→種子島銃
→関連項目大隅海峡薩南諸島種子島時尭南西諸島

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「種子島」の意味・わかりやすい解説

種子島
たねがしま

鹿児島県南部,大隅半島南方約 40kmの海上にある島。南北に細長く約 72km,東西5~12km。最高点は 265mと低く,山地の多い円形の屋久島と対照的。行政上は西之表市中種子町南種子町の2町からなる。天文 12 (1543) 年,南端の門倉崎に漂着したポルトガル人によって日本に初めて鉄砲が伝えられ,領主種子島氏はその模造に成功して技術を本土に伝えた。種子島の名は江戸時代は鉄砲の代名詞でもあった。また元禄 11 (1698) 年には琉球からサツマイモが移植された。気候は温暖で,沿岸は無霜地帯でガジュマル,ブッソウゲなどの亜熱帯性植物が繁茂する。タバコ,茶,ラッカセイ,キヌサヤエンドウなどの畑作物,ポンカン,タンカンなどの果樹栽培が盛ん。食料品製造工場が多い。漁業はイカ,トビウオ,トコブシなどの沿岸漁業が主体。 1966年南東端の竹崎に科学技術庁宇宙開発推進本部が種子島宇宙センターを建設し,ロケット基地になっている。面積 447.10km2。人口3万 5695 (2000) 。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「種子島」の解説

種子島
たねがしま

古くは多禰島・多島とも。鹿児島県大隅諸島の一つ。面積445km2。奈良時代には多禰島(国)の一部,平安初期に大隅国に編入。鎌倉時代に島津荘大隅方惣地頭名越氏の代官肥後氏が入り,北条氏滅亡後,島主化して種子島氏を称する。戦国期には島津方に属し,近世種子島氏の私領。北流する黒潮のコース上に位置し,古来海上交通の要衝で,外国船の漂着も多かった。1543年(天文12)門倉(かどくら)岬に漂来したポルトガル人により鉄砲と火薬の製法が伝来した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「種子島」の解説

種子島
たねがしま

鹿児島県南部,大隅諸島北東端にある島
古くは多禰島・多禰島と書き,大隅国に属した。東は屋久島に対する。天武・持統朝に入貢。鎌倉時代以降,種子島氏が領主となる。1543年ポルトガル人が漂着し領主時堯 (ときたか) に鉄砲2挺を売り渡した。南蛮文化が初めて渡来した地として著名。

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世界大百科事典(旧版)内の種子島の言及

【中種子[町]】より

…鹿児島県熊毛郡,種子島中央部の町。人口1万0027(1995)。…

※「種子島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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