種子島(読み)たねがしま

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鹿児島県南部,大隅半島南方約 40kmの海上にある島。南北に細長く約 72km,東西5~12km。最高点は 265mと低く,山地の多い円形の屋久島と対照的。行政上は西之表市中種子町南種子町の2町からなる。天文 12 (1543) 年,南端門倉崎に漂着したポルトガル人によって日本に初めて鉄砲が伝えられ,領主種子島氏はその模造に成功して技術を本土に伝えた。種子島の名は江戸時代は鉄砲の代名詞でもあった。また元禄 11 (1698) 年には琉球からサツマイモが移植された。気候は温暖で,沿岸は無霜地帯でガジュマル,ブッソウゲなどの亜熱帯性植物が繁茂する。タバコ,茶,ラッカセイ,キヌサヤエンドウなどの畑作物,ポンカンタンカンなどの果樹栽培が盛ん。食料品製造工場が多い。漁業はイカ,トビウオトコブシなどの沿岸漁業が主体。 1966年南東端の竹崎に科学技術庁宇宙開発推進本部が種子島宇宙センターを建設し,ロケット基地になっている。面積 447.10km2。人口3万 5695 (2000) 。

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百科事典マイペディアの解説

大隅半島の南方約35kmに位置。大隅諸島の一島で,南北に細長く,面積444.30km2。鹿児島県西之表(にしのおもて)市・中種子(なかたね)町・南種子町からなる。西方に馬毛(まげ)島(西之表市),屋久島がある。地形は低平で,全島が台地ないしはなだらかな丘陵状を呈する。最高点は282m。 古くは多【ね】島・多禰島と記し,国に準じた多禰国が成立した。824年同国は大隅国に併合され,以後種子島は同国熊毛(くまげ)郡として推移した。平安時代末に島津荘のうち多禰島が成立。中世の島主種子島氏は,島津荘地頭名越(なごえ)氏の被官肥後氏が地頭代として下向土着したのに始まるとされる。室町期の種子島時氏の時,島全体が法華宗に改宗したという。古くから南海・南蛮との交通に重要な役割を果たし,1543年の鉄砲伝来で知られる。近世は鹿児島藩の支配下,種子島氏の私領種子島郷として推移。が置かれ,製塩や甘藷栽培が行われた。 現在,稲作(早期栽培)のほか,サトウキビ,サツマイモ,たばこ,落花生やポンカン,タンカンなどを栽培。漁業は沿海漁業が中心で,トビウオ,トコブシ,エビ,イカなどがとれる。南種子町に人工衛星の打上げ基地である種子島宇宙センターがある。鹿児島・屋久島と定期船が通じ,中種子町に2006年3月新たに開港した種子島空港がある。→種子島銃
→関連項目大隅海峡薩南諸島種子島時尭南西諸島

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世界大百科事典 第2版の解説

大隅諸島の一島。鹿児島県に属し,西之表市と熊毛郡中種子(なかたね),南種子の2町に分かれる。面積446km2,人口3万7271(1995)。南北約60km,東西5~10kmで南北に細長く,最高点は282mで低平である。第三紀層を切る海食台地と,それをとりまく数段の海岸段丘からなり,平野に乏しい。年平均気温19℃ぐらいで温暖である。水田は少ないが,サトウキビが広く栽培されて島の中心産業になっているほか,ポンカン,タンカンなどのかんきつ類,タバコ,早期出荷のオランダエンドウの栽培,畜産が行われる。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

鹿児島県南部,大隅諸島北東端にある島
古くは多禰島・多禰島と書き,大隅国に属した。東は屋久島に対する。天武・持統朝に入貢。鎌倉時代以降,種子島氏が領主となる。1543年ポルトガル人が漂着し領主時堯 (ときたか) に鉄砲2挺を売り渡した。南蛮文化が初めて渡来した地として著名

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